2009年11月19日木曜日

カキと甘口白ワイン〈その2〉




ボルドーで生ガキと貴腐系甘口白ワインの絶妙マリアージュを経験してからふた月近く経った11月のある日、ボルドーへも同行したカメラマンK君の自宅で「カキとソーテルヌの会」を開催することになった。おりしもわが故郷・山陰からは松葉ガニ漁が解禁になったとの報が。ならばいっそのことと趣旨を拡大し、「カキとソーテルヌ、蟹と○○ワインの会」にしようということになった。カキはK君が北海道・厚岸から取り寄せることになった。蟹はセコガニ(松葉ガニのメス)。僕の母が「その筋」に頼んで兵庫県から直送してくれる。当日の参加者は6人。

あとはワインだ。ソーテルヌはK君がボルドーから持ち帰ったレ・ランパール・デ・バストー2005がある。会の2日前、僕はワインショップに出かけ、ロゼのカバ(マス・デ・モニストロル2005)、ヴィエーユ・ヴィーニュのシャブリ(ドメーヌ・ド・ヴォルー2002)、アルザスの白(マルク・テンペ アリアンス)の3本を購入。当日はうちから赤ワインを2本(イゲルエラ・ロブレ2008とイル・ポッジオーネ ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ1995)持ち出した。これで6人に対してロゼ泡1+辛口白2+甘口白1+赤2=6本。われながら頼もしきラインナップ。

当日、K君宅に着くと、すでに男子2名が片手に軍手、もう片方の手に金ベラという武装で殻付きカキと格闘していた。発泡スチロールのトロ箱を開けてセコガニを披露するとドッと歓声がわく。厚岸産のカキはクリーミーなタイプ。ボルドーのミネラリーなものとは趣が異なるが、旨さでは厚岸に軍配が上がるだろう。ロゼ泡で乾杯するが早いか、もうみんなカキに食らいついている。慌ててシャブリを抜栓。最近厳めしい感じのシャブリばかり飲んでいたので、今日の古木ものはずいぶん寛容に感じる。シャブリの本領かといえば微妙なワインだが、カキがクリーミーだったので、悪い組み合わせではなかった。続いてシャブリの続きにセコガニ(塩ゆでされている)をぶつける。外子、内子、アシ、抱き身と順に食べるのに一同忙しく、ワインを賞味するいとまがない。機を見てマルク・テンペを開けてみんなのグラスに注ぐ。華やかなアロマが立って、みんなの蟹を解体する手が止まる。マリアージュ的にもアルザスと蟹は正解であった。蟹がきれいに片づけられると再び残りのカキがこじ開けられる。いよいよ、本日のメインイベント、生ガキ&ソーテルヌである。旅で出会った恋は実らないというのが定説。ボルドーの思い出ははたして東京でも魔力を持ち続けることができるのか? その答えは「Oui(Yes)」だった。

毎年秋から冬にかけていったいいくつのカキを食べるだろう? 生ガキ、フライ、鍋を合わせると200個くらいは行くだろう。甘口白ワインとのマリアージュを覚えて、この冬のオイスター・ライフはますます充実しそうである。

2009年11月13日金曜日

カキと甘口白ワイン〈その1〉



9月に2週間ボルドー取材に出かけていたのだが、そのレポートをこのブログに書かねば書かねばと思っているうちに早くも2カ月が過ぎ去ってしまった。いまさらまとまったレポートを書くのもナンなので、今後ことあるごとに取材の成果を引いて書くことでお許し願おう。
きょうはカキの話をする。柿ではなくて牡蠣のほうだ。

ボルドーの、ワイン以外の特産品にカキがあることはあまり知られていない。ボルドーはガロンヌ川、ドルドーニュ川、そしてその2本が一緒になったジロンド川という3本の河川の流域に広がっているのだが、最後のジロンド川はぶどう畑がなくなるとすぐに大西洋に注ぐ。河口までいかなくてもボルドー市から西へ1時間ほど車を走らせると、大西洋の海水を閉じ込めた入り江、バッサン・ダルカッションに出る。この入り江でカキが養殖されているのだ。アルカッション、カップ・フェレといった海辺の町はリゾートとして賑わい、ビーチ沿いにはテラスでシーフードを食わせる店が軒を並べている。生ガキのお相手として勧められるのはアントル・ドゥー・メール(ガロンヌ川とドルドーニュ川に挟まれた地域)の白ワインということになる。さっぱりとしてミネラル感もあってそれはそれで悪くないのだが、「カキにはシャブリ」の定番マリアージュを凌駕するかと言われるといささか心許ない。しかし待て。白旗を揚げるのはまだ早い。ボルドーにはもうひとつ生ガキに合うワインがある。ソーテルヌに代表される貴腐系甘口白ワインだ。

生ガキにソーテルヌ? 最初そのマリアージュの話を聞いたときは僕もなにかの冗談だろうと思った。カキの旨さは海の味、潮の味がするところだ。生ガキにレモンを搾り掛けて食べることを考えると辛口の白ワインが合うのはわかる。しかし、飲むデザートのごとき甘口白ワインがカキに合うはずがない。生ガキにハチミツを掛けて食う様を想像してみればいい。やはりフランス人の味覚は日本人から見るとへんてこりんなのだ……と。そんな僕の愚かな既成概念を打ち砕く「事件」が今回のボルドー取材の最中に起こった。サン・クロワ・デュ・モンという産地に甘口白ワインの取材で出かけたときにことだ。サン・クロワ・デュ・モンはボルドーの南、ドルドーニュ川の畔の丘の上、海抜100メートルくらいのところに広がっている。川の対岸はシャトー・ディケムを擁するソーテルヌの地。われわれが訪ねたシャトー・ラ・グラーヴの5代目ヴァージニーさんによると、彼女のところは2つの畑を持っており、ひとつは石ころだらけの粘土石灰質土壌、もうひとつは蛎殻土壌であるという。前者の畑で穫れたぶどうでできるのがシャトー・ラ・グラーヴ、後者からできるのがシャトー・グラン・ペイロー。試飲のときにヴァージニーさんが土壌のサンプルを見せてくれたが、グラン・ペイローのほうにははっきりとカキの形状が残る化石がたくさん含まれていた。それを見たとき僕の記憶装置にぽっと灯りが点った。「もしや、このワインと生ガキが合うのでは?」と訊くと、ヴァージニーはもちろんというように大きく頷いたのだった。
数日後、われわれ取材チームはカップ・フェレのシーフードレストランにいた。生ガキを増量したシーフードの盛り合わせを注文し、バッグのなかから飲みかけのシャトー・グラン・ペイロー2004を取り出す。カキの養殖場に潮が満ちていくのを目の前に眺めながら、出てきたカキを食べ、甘口白を飲む。なんの齟齬も、不仲も、不釣り合いも、理不尽も、そこにはない。簡潔に言うなら、旨いのだ。焼き蛤に日本酒を注いで飲むように、生ガキに甘口白を注いで飲んでみたら、これまた素晴らしい。かくて、ボルドーの貴腐系甘口白ワインと生ガキの相性は実証されたのだった。

2009年11月6日金曜日

イタリアン・ゾンビ



この頃はもっぱら夜更けにイタリアの赤である。柿が旨いので、生ハム&メロンならぬ生ハム&柿がつまみの主役となっている。いま飲んでいるのはシチリアのカンティーネ・アウローラ社、エラ シラー2008。ICEAの認証を受けたオーガニックワイン。抜栓してすぐには太田胃散のような刺激臭があり、水辺に打たれて放置された木杭のような湿った匂いがあった。酒質はタンニンのせいか少し舌にザラつく感じで……と、このように印象を書き連ねるといかにも不愉快なワインのようだが、なぜか全体の印象は好感が持てた。このあたりが自然派ワインの妙なところかもしれない。色も味わいも濃いところはラングドックのヴァン・ド・ペイを思わせるが、それらによくあるキャンディなワインではない。30分くらいすると、刺激臭が和らぎ、代わりになじみのある匂いが支配的となったが、すぐには特定できない。何度もわが袖の匂いを嗅いで嗅覚をリセット(この方法を教えてくれたのはワインアドバイザーで酒屋店主のNさんだった)し、嗅ぎ直す。樟脳? いや、これはカレー粉だ。鍋に入れる前の乾いた状態のカレー粉の匂い。その主成分はターメリックか、カルダモンか?……と、ここまでは一昨日の話。2日目の昨夜はアニュージュアルな匂いは消えて、果実とチョコレートとバニラだけが残った。そして今夜、果実だけがまだ踏みとどまっている。

じつはこのワインの話にはもうひとつ別のストーリーがある。抜栓初日(つまり一昨日)、キッチンテーブルの上には開けて3日目の別のイタリアワインがあった。トレンティーノ=アルト・アディジェのツィオ・ベピ2006。ラグレイン、ピノ・ネロ、テロルデゴという3つの品種の混醸。ピノ・ネロ以外は聞いたこともない。それに惹かれて買ったのだった。抜栓初日のツィオ・ベピは生き生きとしておしゃまな、ガーリッシュなワインだったが、そこにはイタリアワインの持つ(と、僕が信じて疑わない)奥深さや神秘は感じられなかった。これが現代性というものかと思いつつ栓を閉め、2日目に期待。が、2日目になっても伸びることはなく、3日目にはただの駄ワインに成り下がっていた——。イタリアワインへの信頼感に影響が出そうだったこのとき、藁をもすがる思いで開けたのがエラ シラーだったわけだ。ツィオ・ベピはいっそ捨てようかと思ったが、僕のイタリアワインの師であるバー・アズのHさんが語るごとく、イタリアワインにはいったん落ちてまた上がってくるものがあると思い直し、捨てずにおいた。飲み残しのツィオ・ベピと開けたてのエラ シラーとでは「グー」と「パー」ほどの違いがあった。ジャンケンではパーの勝ちだが、ワインのパーはいただけない。パーと表現したツィオ・ベピは各要素がばらけて正体を失っていたのだ。それでも僕は飲んだ。ダメになったワインと、まだバランスを保っているいるワインを飲み比べる。これも勉強である。ダメなワインとは何か? なぜダメなワインは飲み手に快楽を与えてくれないのか? 考えながら飲んだ。それが一昨日のことだ。いま、すべての贅肉を落として果実だけになったエラ シラーの横に抜栓5日目を迎えたツィオ・ベピのグラスがある。いったんは失っていたはずの正体が戻って、ひねてはいるがなかなか佳い飲み物に化けている。喩えは悪いが、これはゾンビだ。イタリアワインにだけ起こるこの現象に科学的な根拠はあるのだろうか?

2009年10月6日火曜日

急いてはワイン評価をし損じる

南ローヌのヴァントゥー山には大昔からグラン・ゾム(大男)伝説が伝えられるという。その伝説の名を戴いたドメーヌ・デュ・グラン・ジャケ レ・グラン・ゾム2008を昨日開けた。ワインショップでは「パワフルなフルボディ」が売り文句になっていたが、抜栓直後の印象はどちらかというと線が細く、やわな美少年という感じだった。強いて特徴的だと思ったのは静かに漂う花の香り。4分の1くらいを飲んで栓を閉じてから丸1日。時間が大男を目覚めさせた。グラスに鼻を近づけるとのけぞるような強い芳香なのだ。それはまごうかたなきバラの花。バラは品種によって匂いの強弱に差があるそうだが、イメージで言うなら、深紅の、大輪のバラの花。造り手のジョエル・ジャケはビオディナミを取り入れたビオロジーを実践している人。自然派ワインゆえの後伸びか。ワインに必要な時間に比べ、ときに人は結果を急ぎすぎるものだ。そんな殊勝な気分にしてくれるこのワイン、1880円(税込)である。

2009年10月4日日曜日

名月に一句



往く月を
見送りながら
ロドリゲス

4度目のボルドー取材から帰国して1週間。いまだ時差ぼけが抜けない。年齢による肉体の衰えについては語りたくないが、ここ数年時差ぼけから立ち直るのに日数がかかる。昨夜は零時に床に就き3時33分に目が覚めた。世の中には3時間睡眠で通す人だっているそうだが、生来ロングスリーパーである僕には到底無理。次なる睡魔を誘うべくキッチンの椅子に座って、昨夜開けたテルモ・ロドリゲスの白の続きを飲む。抜栓時よりもワインが落ち着いて邪気やてらいのない円い味がする。おりから今宵は中秋の名月。ワインに手を出す前には皓々として西の空にあった月だったが、ワインを手にじっくり眺めようと再びベランダに出たときにはすでに雲の向こうに隠れていた。月もワインもこちらの都合通りにはゆかぬ。それも魅力のうちなのかもしれない。

2009年8月26日水曜日

キューバ報告



7月の末から8月の半ばまで10年ぶりにキューバへ行ってきた。今回の取材の目的はワインではなく、チェ・ゲバラとヘミングウェイ、その両方。われながら無茶なテーマに手を出したものだと自らを嗤っているが、思いついてしまったのだからしょうがない。それはともかく、このブログではあくまでもワインの報告である。真夏のキューバに似合うのはワインではなくラムである。それはもう事前の予想以上に真理であった。炎天下のハバナ旧市街を歩いたあと意識朦朧としてバー・フロリディータに入り、そこで飲み干す“パパ”ダイキリ(ヘミングウェイの求めに応じて砂糖を入れず、ラムを倍入れたもの)は他のものに代えようがない。ボデギータ・デル・メディオで飲む素朴なモヒートも同様である。
それでも、あるところにはワインがある。ひとつはレストラン、エル・アルヒーベ。この店のオレンジを隠し味に使った鶏の煮込みは付け合わせのアロス・コン・フリホーレス(炊いたコメに黒豆のソースをかけたもの)ともどもキューバ随一の味である。ドリンクメニューを見ても、バーの棚を見てもビールとラムばかりでワインの姿はない。ダメもとでフロアの男にワインリストはないかと訊くと、にやりと笑い、俺についてこいと手招きする。うながされるがままに店の裏手の暗がりに行くと、ドアの先が階下への階段になっており、その先にひんやりと冷房の効いた見事がセラーがあった。高級品があるわけではない、が、スペイン、チリ、イタリアとそれなりに多様な品が揃っている。アメリカに頼らずともワインくらいは揃えてみせるという革命国家の威信を見せつけられた気がした。チリのワイナリーの手になるアリウェンというワインを注文し、席に戻る。カベルネ・ソーヴィニヨンとメルローの混醸。日本に帰ってから調べたらサッポロビールが日本にも入れていた。
もうひとつ、ワインと出会った場所は、今回最も長く泊まったホテル、メリナ・ミラマルのバー。驚いたのはキューバ産の赤ワインが飾られていたことだ。キューバ国内は島を含めてくまなく回ったが、どうみてもワイン用のぶどうが栽培できるような場所(気候)はない。いったいどんなぶどうで造ったどんな味のワインなのか? 日増しに興味はつのり、最後の晩、同ホテルのレストランで食事した際に思い切って注文してみた(たしか価格は2500円くらい)。が、あいにく品切れとのこと。食後、バーに行ってみると未開封のボトルが立っている。これはどういったことか? バーでならこの珍品が飲めるのか? 確かめたいことはたくさんあったが、不覚にもそのときは他の酒で相当に酔っぱらっていて、すべては未遂に終わってしまった。もし飲めたとしても、旨かったはずはない。それは確かなのだが、一滴も試さなかったことには悔いが残る。俺としたことが……。

ジンファンデルの躍進

初夏に出して好評だった某女性誌のワイン特集を晩秋に再びやることになり、またしても赤+白+泡=60本のワインリスト作成を担当することになった。かくして連夜の試飲が始まったというわけである。ここ数日のうちに恵比寿パーティで8本、目黒信濃屋で6本、広尾ヴィノスやまざきで6本を購入。日々試飲をしているが、家でやっているとついつい本格的に飲んでしまい、せいぜいが1日2、3本。これでは締め切りに間に合わぬ。目下の出色モノは、カリフォルニアの赤2本。ソノマの名門ケンウッドのシングル・ヴィニヤードものであるマドローネ・ヴィニヤードのメルロ2006とレイヴェンス・ウッドのジンファンデル2006。南仏の同価格帯の赤と比べてもアメリカに軍配が上がる。とくに後者のジンファンデルは抜栓2日目にマデイラのような香りが出て、ますます旨くなった。ワイン飲みとして駈けだしだったころ、中目黒のワインバーでよくジンファンデルを飲んだが、知らぬ間にすっかり洗練されたものだ。

昨日、ワイン仲間で中国料理シェフのFが電話をしてきた。ソムリエ試験の一次が終わったところだそうで、不安げである。同じ日、東京で試験に挑んだはずのスペインバル店主Kにメールしてみる。返信が来て、彼は勘が当たって8割できたと自信満々。
一方で、おととい僕はとあるワイン好きのバレリーナに取材をした。彼女はワイン好きが嵩じて数年前にワインエキスパートの資格を取ったとのこと。ボルドーを飲みながら話を聞いたのだが、資格を取った頃の知識はほとんど忘れてしまったとのこと。ソムリエの資格を持つ元CAにも同様のことを言う人がいた。それも仕方のないことなのだろう。資格とか試験というのは大なり小なりそういうものだ。しかし、と僕は思うのである。それぞれのワインとの付き合い方によって、押さえておくべきワイン知識の領域は異なるだろう。が、畢竟ワインとは総合的な要素からのみ語りうるものである。せっかく資格が取れるほどのワイン総合力を身に付けたのならば、その後もキープしてもらいたい。こういうのは余計なお節介、老婆心だと? それは承知の上で言っているのだ。

2009年7月24日金曜日

日食と革命

きのうの皆既日食は、できたら奄美で見たいと思っていた。奄美には旧知のキャンプ場があり、友もいて、現地にさえたどり着ければ困ることはないと思ったのだ。しかし、2カ月くらい前から頑張ったが飛行機も船も取れない。次第に前後の時期に海外出張が入るなど状況的にも難しくなり、やむなく東京(うち)で見物することになった。東京は終始曇りだったが、じつは時折薄雲の彼方に太陽の姿が見て取れたのだ。マンションの屋上(5階の高さ)から周囲を見ると、いやにしんとして、家々のテレビアンテナのひとつひとつに不穏な気配を漂わせて静かにカラスたちが羽根を畳んでいた。七部方欠けた太陽は半月のそれに似て、でも非なるもので、太めのクロワッサンのようだった。もう一度、周囲を見回したが、僕と連れ合いの他に見る人もなし。この瞬間、太陽が欠けていくという一大事を見ずして、なにが人生と言えるのだろう? 日食を見るよりも大事な仕事っていったいなんだ?

そんな狂騒的日食の日から1日。夜、僕は出発まであと1週間を切ったキューバ取材のために資料本を読みながらワインを飲んでいる。少し残っていたイタリアの微発泡を飲みきってしまい、さてどうしたものかとキッチンを見回して目に留まったのが4日ほど前から冷やしつつ飲んでいたモレッリーノ・ディ・スカンサーノ ロッジアーノ2007。南トスカーナのモレッリーノ・ディ・スカンサーノは最近になってDOCGに昇格したとのこと。イタリアの原産地呼称もどんどん変わっており、ついていくのがたいへんだ。さて、このワイン、さっきも述べたように抜栓したのは4日ほど前。最初は冷蔵庫に入れていたが、昨日今日は室温にてほったらかし状態。コルクを引き抜き匂いを嗅ぐと、案の定、エコノミークラスで飲まされるワインのような香りがする。無理もないし代案もないと諦めてグラスに注ぎ、チェ・ゲバラの本を読みながら飲み出すと、これが意外とイケるのだ。ぬるさに耐える熟れた果実、ひとつも崩れていないボディ&バランス。このワインみたいな中年女がいたら、少々小じわが目立っても、メロメロだろう。ここはイタリアワインの底力に感嘆すべきか、はたまたロマンティックにこれは日食の為したマジックだと断じるべきか、はて? ワイン革命の勝利を! さもなくば死を!!

2009年7月15日水曜日

驚きの生命力


梅雨が明け夏来たりなば喉が渇く。されど、しばらく留守にしていたものだからワインのストックがない。やむなく、2週間くらい前に開けて半分くらい飲み、そのまま栓をして冷蔵庫に入れてあった白ワイン、ドメーヌ・ドゥ・ポッシブルのクール・トゥジュールを冷蔵庫から取りだし、恐る恐る匂いを嗅いでみる。意外にも良い香りがする。グラスに注いで飲んでみてもその好印象は変わらない。もともとこのワイン、友人とのワイン会に持ち込むワインを選ぶべく出かけたワインショップで目に留まり、「自然派」「澱をそのままに瓶詰め」「名前は“放っておけ”という意味」などの惹句に惹かれて買ったもの。うちにもって帰ると、少しボトルの口から液漏れをしており、それもあってワイン会には別のワインを持っていったので、このワインは家に残ったのだ。ノルマンディへの旅の前夜、開けてみると、ぬか床のような匂いがする。味までもぬかなのだが、別に不快ではない。むしろ飲むほどにクセになる。面白いと思ったが、旅の直前にてやむなく半量を残し、きっと留守中に家人が残りを飲んでくれるだろうと思っていたら、あに図らんや、そのまま残っていたのであった。で、2週間経った今、ぬか臭は消失、替わりに上品なフルーツがまだいきいきとしている。この生命力はいったいなんだろう? ビオの為せる業か、はたまた当初液漏れしていたアクシデント(酸化)が奇跡の作用をもたらしたのか? こういうことがあると、自分がたまにシッタカぶって書いたり語ったりしているワイン常識の足もとがすくわれるようで、それが口惜しいかというと、むしろ逆に微笑ましいのである。

2009年7月14日火曜日

ノルマンディ報告




7/5〜7/13までフランス・ノルマンディに行ってきた。某女性誌の仕事で、前半のパリ、ジヴェルニー(モネの家と睡蓮の池)、ルーアン(モネの描いたノートルダム大聖堂)までは女優のNさんとその夫でミュージシャンのSさんが同行。後半は、エトルタ(奇岩の海岸)、ルアーブル(モネ「印象、日の出」)、オンフルール、ドーヴィル(映画『男と女』)などを巡った。全体のテーマは印象派と庭園。ノルマンディは地理的にぶどう栽培の北限を越えているから今回は地ワインは無し。その代わりにシードル、カルヴァドスといったりんごの酒があって、そちらの造り手は取材した。シードルは小粒で酸味の強いりんごから造る発泡酒。収穫は木からではなく、必ず果実が熟して落ちてから拾うのだという。シードルを蒸留しオーク樽で寝かせて造るのがカルヴァドス。そしてもうひとつ今回の発見は、シードルとカルヴァドスの中間的存在と言えるポモ。ポモは熟成期間の短い若いカルヴァドス1にりんごジュース2を加え、それを1年半程度樽で熟成したもので、アルコール度数は17程度(カルヴァドスとシードルを混ぜたものという説明があるが、それはウソらしい)。こいつを少し冷やして食前酒とし、食中にはシードルを飲み、食後にカルヴァドスというのがノルマンディのやり方である。沿岸で獲れる牡蠣とポモやシードルはなかなか相性がよかった。牡蠣のほか、イチョウガニ、ムール貝、タラ、スズキ等々の魚介類、牛肉、羊肉、鴨、チーズ(カマンベールはノルマンディ内陸部の村の名前)など食材は豊かで、レストランの料理法としてシードル煮込みやカルヴァドスのソースというのが目立った。

2009年6月4日木曜日

スペイン報告


5/23〜6/1まで、スペインのムルシア地方(ブーリャス、フミーリャ、イエクラ)とお隣のラマンチャ地方に属するイゲルエラ村へワイン取材に行ってきた。写真はフミーリャで撮ったもの。アメリカ西部かと見まがうような乾ききった風景のなか、ムルシア地方の主要品種モナストレルの畑が広がる。降水量が極端に少なく地中に水分が乏しいので、ぶどうは間隔を充分に開けた株仕立てで植えられていることが多い(無灌漑の場合)。一方、灌漑をして垣根仕立てにされているのはモナストレル以外のシラーやカベルネ・ソーヴィニヨンやシャルドネといった国際品種。このあたりの土壌は石灰岩質。場所によって表土は小石、砂、粘度混じりに大別される。モナストレルはフランスではムールヴェードル。この品種についてヒュー・ジョンソンの『地図で見る世界のワイン』から引用してみよう。
〈成熟させるには充分な日照が必要。酸化しやすいがプロヴァンスの最も高貴なワインとなる。南フランスでは全域で、特にグルナッシュやシラーとのブレンドものの肉付きを良くする。スペインではモナストレルと呼ばれ、赤ワイン用の葡萄として2番目に多く栽培されているが、質よりも量を連想させる。カリフォルニアやオーストリアではマタロとして知られ、やや軽んじられていたが、ムールヴェドルと改名し、魅力的なフランスのイメージをもたせて成功した〉
この説明文の語り口で明らかなように、モナストレルは長く二級の評価に甘んじてきた。色が濃く、甘みと酸がしっかりしているので、他の品種を主体としたワインの欠点を補う脇役として売られていたのだ。1980年代に一部の向上心ある生産者が奮起し、ボトル詰めのワインを造って国際的な評価を得るようになるまで、このあたりのワインはほとんどがバルク売りだった。

2009年5月21日木曜日

忘れかけていた、ワイン民主化へ障壁

先月の夜の時間の大半をかけ、わが家の廊下を空ボトルで埋めて、60本のワインをセレクトしたのは某女性誌のワイン特集のための仕事だった。4、5日前に掲載誌が店頭に並んだ。ここのところの陽気はすでに初夏から梅雨の走り。シュワシュワや白ワインのことは頭に浮かべども、赤ワインに対する思慕恋情は急低下。こんな時節にワイン特集は売れるだろうか、ハテ?

そのワイン特集の発売を楽しみにしてくれていた同郷の友Kからメールがきた。「ウキタの薦めるワイン、うちの近所のスーパーには1本もないよ」。これはなかなかに看過できぬモンダイである。Kは東京・大田区在住。ワインに関する知識はカベルネとカペルネと思い込んでいるようなレベルである。つまり、僕が常々標榜している「ワインの民主化」を実践するターゲットとしてこの上ない人物なのだ。何度もワイン関係の記事に関わるうちにすっかり常態化し鈍化していたが、じつは僕も最初は雑誌のワイン・カタログを見るたびに、データに書かれているのがインポーター名だけで、実際にそのワインが売られている店の紹介がされていないことに違和感というか不親切感を覚えていたのだ。考えてみると、その理由を誰かにちゃんと説明してもらったことがない。が、いまなら、ある程度は推測できる。理由のひとつはインポーターはほとんど不変だが、酒販店は変動するということ。酒販店は当然売れるモノを仕入れて、売り切ることを目指す。高級品なら定番として常置するものもあろうが、デイリーなものや中くらいの価格のものについては新たに話題になった商品にどんどん入れ替えていくだろう。ヴィンテージという「年に1度のチャラ」があるワインという商品の特性もこの売り方に関与しているのだろう。また、日に日に新たなスター・ワインが出てくるというワイン業界の現況が「変動」に拍車を掛けているということもあるだろう。雑誌(月刊誌)というのは通常、取材と発売の間に1カ月ほどのタイムラグがある。その間にも酒販店のラインナップは移ろうとなると、酒販店名を載せることの意味があやしくなる。一般の消費者が直接関わることのないインポーターが載っかるのには、雑誌側の「広告的理由」もあるのだろう。あまたあるインポーターのなかで、雑誌に広告を打てるほどの規模・財力を持つ会社はほんのひとにぎりなのだが、そのなかに、雑誌側が決して軽んじることのできないクライアントがあって、そのわずか3、4社の名前を出すためにデータはインポーターの名で統一される。むろん、レストラン、バーなどの業者にとっては仕入れ先の情報が載っていることは役に立つわけだが。

話を元に戻そう。Kはどこで僕の薦めるワインを手に入れればいいのか? 僕はとりあえず都内のワインショップ4軒の所在を教えた。近所のスーパーでワインを物色していた彼がワインショップに入るのは、それだけで敷居を感じる行為なのかもしれないが、これも「民主化」への一歩である。

2009年5月15日金曜日

日常を非日常に変えてくれるもの

友人Yの誘いで日比谷で芝居『この森で、天使はバスを降りた』を観てから、かねて行こう行こうと思って行けていなかった銀座7丁目のワインバー、ラ・ニュイ・ブランシュへ。店主のH氏と初めて会ったのは彼が西麻布の店にいた5、6年前のことだ。当時西麻布のその店には5度ばかり通ったが、その途中でH氏は新天地を求めて店を離れたのだったと記憶している。住所をたよりに探した店は銀座らしい雑居ビルの地下にあった。恐る恐るドアを開けて店に入ると、たまたまカウンターのなかは無人。しばらくして、見知らぬ顔のスタッフが一人。やや遅れて見覚えのある顔が裏から出てきた。少しばかり年を重ねたようだが思ったほどは変わっていない。「Hさん」と声を掛けると、「あ、ウキタさん」と即答が返ってきた。5、6年の歳月が一瞬に縮まったような気になる。メニューを見るまでもなく、棚に並んだグラスの構成から、この店がどこのワインに重きを置いているかが知れた。シャンパーニュ、ブルゴーニュの白、赤は北ローヌ、南ローヌと僕は4杯。隣のYは赤でイタリアへ。この不景気に店は賑わっていた。背後のテーブル席から「ワインてさ、結局値段でしょ」と聞き捨てならぬ発言が聞こえてきてムッとしたりするが、ここは銀座、そういう人もいるのだと自分を納得させる。そんなことよりも、ワインを通じて知り合った人が時間を超えて達者でやっていることが嬉しい。『この森で、天使はバスを降りた』のテーマはパンフレット的には「いつだって人生はやり直せる」だが、僕の見立てで言うと、「ちょっとしたきっかけさえあれば、平凡な日常もパラダイス(=非日常)になる」だ。僕とH氏は互いに別々の日常的5、6年を過ごして、再び出合った。日常を非日常に変えてくれたもの、それがワイン。

2009年4月22日水曜日

友に贈ったワインで救われる

4月16日、神宮球場でヤクルト−巨人戦を観戦したあと早稲田のスペイン・バル、ノストスへ。前々から店主のKクンが飲ませてくれると言っていたプリオラート、スカラ・デイ1993を抜栓。プリオラートが「4人組」らの手によって急速に現代化したのは80年代後半からのはず。してみると、このワインは過渡期の作品ということになるか。ネットでの売り文句は「クラシック・スタイルのプリオラート」。熟成感がしっかりと乗って、飲みごろであることは間違いないが、まだもう少し先がありそう。グラスのなかでゆっくりと開かせようと思っていたが、口当たりの良さに、ついつい飲んでしまい本領が味わえたのかどうか。仕事を終えた友人Yクンが駆けつけ、飲み手も増えたとて、さらに次のワインを抜栓。テルモ・ロドリゲス・コレクションLZ(エレ・セッタ)2006。白いエチケットの右上から女性の右腕がニュッと出ている印象的な外観。その女性の手につままれているのは赤い果実か。こちらはリオハのワインでテンプラニーリョ100%であるはずだが、チェリーキャンディを水に溶かしたような感じはブルゴーニュ・ルージュに近い趣である。細身色白の女性を思わせ、これはなかなか看過できぬの一本。テルモ・ロドリゲスのワインはガスール(指紋のエチケット)、デヘーサ・ガーゴ(gのエチケット)と飲んだが、このLZほどの感銘は受けなかった。スペインワインを語る上では避けられぬ人のようだ。今後もウォッチしてこの人のワインを飲んでいきたい。

4月19日。先月来ぼく自身(チームを率いプレーイング・マネジャーを務めている)の野球シーズンが始まってしまったもので、どうしてもこのワイン話をするべきブログにも野球の話が出てきてしまう。この日は今季5試合目の試合を午前中に戦い、ぼくのチームは今季初の敗北を喫した。相手は過去5戦してわがチームが5勝してきた相手。最近とみに実力をつけてきたとはいえ、まだまだ負けるわけにはいかぬ相手だった。が、負けた。試合後球場内の戸外パーラーで陽を浴びてビールを飲んでも、夜に場所を転じ浅草で焼き肉を食いながらビールを飲んでも、ぽっきり折れた心は元には戻らなかった。チームの部室ともいうべき原宿のバー誤解でくだを巻こうかと思いチームメイトのKに電話すると、「明日朝早いから出かけるのは無理。よかったらうちでワインでも飲まないか?」という。痛手を癒してくれるならバーだって人んちだってこちらとしてはかまわない。というわけで、夜の11時過ぎにスーパーでイチゴを買ってからK宅へ。

まず出てきたのは、カサーレ・ベッキオ(イタリア・アブルッツォ)の白。この造り手の赤は流行っているが白を見たのは初めてだ。品種も初耳のペコリーノ。酸味が控えめで厚みがあり、ローヌの白を彷彿とさせる。刺激が少なく包容力がある感じはヘコんでいる身にはありがたかった。続いては赤。じつはこれを開けるからとのKの甘言にどうしても抗えず、夜更けもかまわず、おまけにKは彼女とくつろいでいたにもかかわらず、押しかけたのだった。ワインの名は「カオス2003」。そう、2週間前にぼくがKの誕生日のために買ってプレゼントしたワインだ。造り手はマルケ州のコーネロのファットリア・テラッツェ。モンテプルチアーノにメルロ、シラーをブレンドしたまさに混沌の作。ひじょうに香りが高い。「いきいきとした香り」ではなく、たとえば遠くでなるティンパニの音が全身に響き渡ってくる、そういう香りの出方なのだ。熟した果実と樽由来の複雑な香りが太い束になっている。そしてその束を薄く覆うのは、なんと、白檀の香り。いったいどこから出てきたのだろう? ワインの深みと時間による変化を楽しみ、軽口をたたき合っているうちに2時間ほどが過ぎた。友とワインのありがたさが身にしみる——あるいは、そのための昼間の敗戦だったのかとさえ思えてくる。 

2009年4月7日火曜日

カオス、桜、飛翔体

北朝鮮が飛翔体を発射すると予告した期間初日の4日は友人Kの誕生日だった。それを遡ること2日、目黒駅地下にオープンした成城石井を覗きにいき、Kへのプレゼント用と自宅用にイタリアワインを2本買った。プレゼント用はマルケ州、ファットリア・レ・テラッツェのカオス2006。サイケデリックなエチケットとカオスの名が43歳を迎えるKにふさわしく思えた。なぜカオスなのか? その答えはおそらくモンテプルチアーノ、メルロ、シラーの混醸という品種の組み合わせに由来するのだろうが、飲んでみなければなんともいえない。
4日はわが野球チーム、バビグリンの試合の日でもあった。Kもチームのメンバーである。球場のある世田谷公園周辺は桜が満開。試合後、チームメイトと球場近くのもんじゃ焼き屋で飲み食いしてからKの自宅で飲み直すことに。カバに始まり、赤(ローヌ)、赤(スペイン)、白(ローヌ)あたりまでは順に覚えているが、その後はよくわからない。最後はリモンチェッロを飲んでいたような……。後日Kが語るところでは6本のワインが空になっていたとのこと。結局この日は北朝鮮からの飛翔体も飛来せず、カオスも闇雲に開けられることなく、無事に(?)過ぎたのだった。

北朝鮮の飛翔体が打ち上げられたのは翌日の5日だった。日が暮れてから前日と同じ世田谷公園の野球場へ。友人Dが監督をつとめるチームの試合を観戦。試合後、その場に居合わせた5人でピッツェリアのサヴォイへ。窓から夜桜も見えてちょうどいい。スプマンテ→プリミッティーボ→シチリアの白と3本を空にした。赤→白にしたのは、「ピッツァには白ワイン」という説を検証してみたかったからだったが、前夜の二日酔いから立ち直らぬままにさらに飲んだので、まともな判断はくだせなかった。
北朝鮮の飛翔体からはけっきょく何も落ちてこなかった。落ちたのは、2日続けて飲み過ぎたわが身のみ……

2009年4月1日水曜日

ワインとハードボイルド

昨夜の話。前日抜栓したエスクード・ロホ2007の続きを、読みかけのレイモンド・チャンドラー『ザ・ロング・グッバイ』の続きを読みながら飲む。ワインはいただき物。2年前チリに行く直前に一度、予習のつもりで同じワインを飲んだことがる。前夜開けたてのときは平板で魅力的とはいえなかったのだが(だからグラス一杯だけで栓をした)、2日目はグッと良くなった。チリの強烈な日差しで灼けた果皮から出たに違いない煮詰めた果実の風味。くぐもったような香りはシラー、原っぱの草の香はカルメネールか。アメリカ車のシートのような匂いを感じるのは読んでいる小説の影響かもしれない。テリー・レノックスの嫌疑とともに飲んでいくといつしかワインの味わいまでもがハードボイルドになったような。チャンドラー作品に旨いワインは出てくるのだろうか? 本人が生きていたら「俺の小説を読むときはウイスキーにしてくれないか」と言うかもしれない。

某インポーターから今月13日に行われるカンポ・ディ・サッソ社ワインメーカー来日記者会見の案内が来たが、当日は別件があって出られない。カンポ・ディ・サッソ社はロドヴィゴ・アンティノリが95年にボルゲリに立ち上げた蔵。フラッグシップのインソリオ・デル・チンギャーレは試飲会で飲んだことがあるが、濃縮感の極みで、飲み手を唸らせるものがあった。元々はミシェル・ロランのコンサルティングを仰いで世に出た蔵。今回来日するのはスウェーデン人の女性醸造家。いちいち気が惹かれる要素が揃っているだけに、出られないのが無念でならない。
12年前イタリア取材の際にロドヴィゴの兄、ピエロ・アンティノリにフィレンツェのオフィスでインタビューしたことがある。貴族の末裔にしては気さくな人物だったのが印象的だった。それから7,8年経って、映画『モンド・ヴィーノ』で見たピエロ氏は弟ロドヴィゴとの確執に疲れ果てたようで、ひどく老けて見えた。僕にとってアンティノリ家のワインはそんなゴッドファーザー的な記憶とともに飲むもの。ボルゲリという地名も心穏やかには聞けぬものがあるのだ。

夜、アルゼンチンのアラモス・トレンテス2007を抜栓。トレンテスはアルゼンチン特有の白品種だとワインショップの能書きにあった。香りからしてガツンと押し出しの強いワインである。柑橘に人工的に合成したようなピーチ、そしてライチ。しかし、最も強烈に匂い立つのは別の……えっと、えっと……何の香りだったか出てこない。あきらめてボトルの裏に記された英語の説明を読み、「ジャスミンの花の香り」というフレーズに膝を打つ。こういうのが一番口惜しいのだ。明らかに嗅いだことのある香りなのに、それが何なのか思い出せない。もどかしいし、わが脳の能力低下を思い知らされるようで気が滅入る。
気を取り直し、久しぶりにつくった「うなぎの蒲焼きのワイン煮」(レシピは田崎真也氏に教わった)に合わせて抜栓3日目のエスクード・ロホを飲む。昨日よりもさらにまとまりが出て旨くなった。バロン・フィリップもなかなかやるわい。

2009年3月30日月曜日

抹茶は敵か味方か

3月26日、Kヴィントナーズのハウス・ワイン(白)を抜栓。シャルドネ85%、リースリング10%、ミュスカ5%。パワフルで快活、だが粗削りではない。そのあたりがワシントン州の魅力か。樽のかかっていないシャブリにこれに近いものがあった。ブラインドでこれを飲まされてアメリカワインだと即答できるだろうか? 境界ワインかボーダーレスワインか、興味のつきない産地である。

3月27日、夜、ピエール・ガニエール・ア・トウキョウでボルドーワイン委員会主催のボルドー甘口白ワイン・ディナー。ソーテルヌに代表されるボルドーの甘口白ワインを今年は重点的にPRしたいという委員会の意思表明をメディアに対して行うのがこの会の趣旨である。アペリティフからデザートまで10種類の甘口白ワインで通すというもの。久しぶりに口にする貴腐ワインは高雅な気分にしてくれた。料理も想像以上によくできていてマリアージュも無理なく楽しめた。ただ、スピーチに立ったゲストが茶道の話(菓子の代わりに甘口ワインを一口飲んでから抹茶を飲むという試み)をし、実際に8杯目のソーテルヌとともに冷たい抹茶が出てきたのだが、この遊びにはあまり感心しなかった。というのも、一昨日バリューボルドー試飲会に出かける前に、わが精神に気合いを入れるべく家で抹茶を飲んでから出かけたが、抹茶特有の甘みとフレーバーが口腔鼻腔に残って肝心のワインの甘みが感じられなかったという苦い経験をしたばかりだったのだ。抹茶を飲むなら、すべてのワインを飲み終えた後に飲むべきというのが僕の意見だ。
会の後、H誌T氏とお茶をしながら近況を語り合った。面白い新男性誌の企画が実現しそうだと話すT氏。縁も思い入れもある雑誌が次々になくなっていく昨今、ぜひともホネのある媒体をつくって存続してもらいたいと切に願うばかり。

3月28日、午後西麻布のプロヴィナージュで行われたオーストリア・ワインの勉強会に参加。茨城からワイン仲間のIクンも上京。この会の主催者で講師を務めるソムリエTさんは去年オーストリア・ワイン大使に任命された人。冷涼地のワインに対するこだわり、愛着には特筆すべきものがある。冷涼地のぶどうはフェノール化合物が成熟してから収穫されるので風味が豊かになるというキモの説明に始まり、オーストリア・ワインの歴史、産地、土壌、品種、法制にざっと触れた後で白・赤を試飲。繊細でおだやかなワインを飲みながら、シュタイナーが生まれた国でのビオディナミ、品種特性よりも土地を表現するために伝統的に行われてきた混植、混醸(ゲミシュターサッツ)、ドナウ河沿いに広がるワイン文化圏のことなど、つぎつぎに切り口が頭に浮かぶ。

2009年3月25日水曜日

ボルドー100本、鼠は何匹?

リッツ・カールトンでバリューボルドー2009の試飲会。僕のワイン飲みとしての足腰を鍛えてくれたのはバリューボルドーだったと言ってよい。その点ではひとかたならぬ恩義を感じているのだ。100本のほとんどすべてを試飲(途中からはほとんど意地で)。玉石混淆なれど何本かは「オッ!」と神経が反応するものもあった。とはいえ、去年と比べると総じて低調な気がしたのは、こちらのコンディションのせいか。会場でたまたま会った同業の友人Kクンが「今年の赤はあっさりというか浅いと感じました」との感想をメールでよこしたが、たしかにそういう印象はあって、それが僕にはメルロ主体のものが目立ったせいもあると思えた。メルロ主体のワインが「あっさり」とか「浅い」とは言えないが、ボルドーのワインを100本並べるのならもう少し左岸タイプというかカベルネ主体のタフなものが多くあってもいいと思うのだ。3500円以下という価格設定の縛りのせいもあるのだろう、あるいは昨今の世間の嗜好と選者の傾向がメルロ的な方向へとなびいているのか、とにかく飲んでも飲んでもメルロであった。
100本のコーナーとは別にボルドーを扱う業者のブースが出ており、余勢を駆っていくつか試飲したが、むしろそちらの方にグッとくるものが連発した事実にバリューボルドーという企画の実力というか内情というかが見えた——なんて言ったら問題発言だろうな。

ミッドタウン内のディーン・アンド・デルーカでワシントン州の白を、プレッセでスペインの白赤各1本をそれぞれ購入。

帰宅後しばらくはワインを飲む気にならなかったが、夜更けにはまたその気が戻ってカプサネス マス・コレット2005を抜栓。先日のスペインワイン・プレスミーティングで帰りに手土産としてもらったもの。ガルナッチャ、サンソー、テンプラニーニョ、カベルネの混醸。なにやら意欲作らしいが、初日の印象は「荒々しい」の一言。というか、もしや劣化している? ネットで調べてみたらカプサネスはプリオラートの近くの村(DOはモンサン)。このボデガは80年代までへこんでいたのが90年半ば以降につくりを改め評価を得たらしい。やはり、どうもプリオラートに呼ばれている気がしてならない。

2009年3月24日火曜日

野球とワインの共通点について

今日の午後にサムライジャパンの2連覇で幕を閉じたWBCにすっかり付き合ってしまい、ここ数日は仕事も手に付かぬありさまだった。昨夜はアメリカに勝った準決勝の報道を見ながらドメーヌ・デュ・ビシュロン マコン・ペロンヌV.V.2006を開け、また前日抜栓したアナケナ シングルヴィンヤード カルメネール2006の続きを飲んだ。ビシュロンは青山の和食屋で出会って以来気に入って何本か飲んだ。夕食につくった鯛の煮物に合うと思って久しぶりに買ったのだが、以前とちょっと印象が違った。ヴィンテージが違うのか、自然派ならではの「ブレ」か? 一方、アナケナは昨日よりもまとまりが出て味わいが上がったように感じた。そんなチリワインの充実ぶりにそそのかされて考えたわけでもないが、今回のWBCで起こっていることはワインの事情と相通じるところがあると思う。アメリカで生まれた(キューバが発祥という珍説もある)野球がアジアでスモールベースボールという技術と出会って花開き、ついには本家を圧倒するまでになった。アメリカやキューバをフランスやイタリアに置き換えると、ワインのたどった経緯と似てはいないだろうか。野球における日本や韓国はさしずめワインにおけるチリやニュージーランド、そして日本である。感動や驚きを与えてくれるワインなら、どこの産でも品種が何でもかまいはしない。最近強く感じていることを野球を通じて再認識したかたちだ。
きょうの決勝戦、4時間に及ぶ試合の半ば、どこまでも互角に戦う日韓選手のプレーぶりを見て、もうどっちが勝ってもいいじゃないかという境地に至った。野球もワインも、抜きん出たものに国籍も愛国心も何も関係ないのだ。

2009年3月22日日曜日

ワインの道はワインが導く

3/19の話から。スペイン大使館経済商務部が開いたスペインワインのプレスミーティングに出席。骨子は昨年度もスペインワインの日本での売れゆきは好調で、売り上げは8年連続前年比増、ついにアメリカを抜いて輸入ワインの第4位(1位フランス、2位イタリア、3位チリ)になったとのこと。年間PR計画の説明を上の空で聞きながら会場を見回すと、C誌編集者のOさんが。かたちばかりのミーティングが終わって懇親会という名の立食&試飲に移ったところでOさんに声をかける。彼女とはワインの話でいつも盛り上がるのだ。赤、白、泡、シェリー、合わせて24本が試飲用に供された。石ころのエチケットで印象深いフィンカ・バルピエドラや最近僕が高評しているエルカヴィオ・ロブレの上のクラス(リミテッド・レセルヴ)、さらにはデスセンディエンテス・デ・ホセ・パラシオス・ペタロスもあった。これは3カ月ほど前に紀ノ国屋のワインコーナーでジャケ買いして印象に残っていたもの。あらためて調べ直してみると、品種はメンシア100(!)。造り手のアルバーロ・パラシオスはペトリュスのムエック社で修業を積んだのちプリオラートの名を世界に広めた人物。なるほど。スペインワインの革新を語るにはプリオラートは避けては通れないのはわかっていたが、とりつく島がなくて困っていたのだ。これで道筋は照らされた。ワインの道はワインが導いてくれる。Oさんとは近くシェリー会をやることを約して別れた。

3/20夕食の買い出しでいった東急プレッセでヴィスカラ センダ・デロロ2006を購入。これも新たなるジャケ買い。昨夜開けて飲んだら、これがまたオドロキの完成度。ネットで検索をかけてみたがまだインポーターのサイトに紹介文が載っているのみ。新顔であるらしい。高地畑での栽培によるものか、スペインものにしては出色のエレガンス。翌朝(つまり今朝)は野球の試合があって深酒は禁物だったのに、つい止まらなくなってあやうく飲み干すところだった。センダ・デロロとは「黄金の小道」。またもや“道”である。スペインワインの千里の道へ、こうして一歩ずつ踏み込んでいく。

2009年3月14日土曜日

「あの丘」への思いはつのる

M・シャプティエ社のワインセミナーに出席。社長のミッシェル・シャプティエ氏自身がマイクを握って自身のワイン哲学、テロワールの定義、ビオディナミを実践する意義を語る。フランス人らしい自信に溢れた饒舌。脚が悪いようだったが、元々の障害か事故か気になった。印象に残った言葉から。
「ぶどう栽培家がハシゴの高さを決める。それに昇るかどうかは醸造家次第である」
「スノッビズムに溺れてはならないと自戒している」
「シラーは、最近の研究により、エルミタージュの丘の近くで交配によって生まれた品種だということが証明された」
「ワインの後味と料理がマリアージュする」
「醸しを長くしすぎると成分抽出はかえって減る」
セミナー後半は、M・シャプティエ社が誇るセレクション・パーセレール(特に厳選された単一畑ものですべて単一品種による)の2005年水平試飲。白3本(マルサンヌ)、赤5本(グルナッシュ1本、あとはシラー)の計8本のうちじつに4本がパーカーポイント100点満点。ミッシェル・シャプティエ氏は世界で最も多くのPP100点を獲った男だそうだ。
最初の白、サン・ジョセフ・ブラン“レ・グラニ”が会場の端から注がれ始めるとすぐに優美な香りが鼻をくすぐった。酸味が少なく、奥ゆかしく、時と共に複雑さを増す。フィニッシュに感じる軽い苦みがまたいい。エルミタージュの白は長熟に堪えるというが、熟成したあとはどういう味になるのだろう? 初めて北ローヌのヴィオニエを飲んだ日の記憶が甦った。記憶は嗅覚とつながっているというのは真実である。どうやら僕の好む白ワインのスタイルはローヌ川が削った渓谷沿いにあるらしい。赤ではトリを飾ったエルミタージュ・ルージュ“レルミット”が抜群、いかにも若々しいが、仕立ての良いタキシードのような気品が感じられた。
試飲したワインは9000円〜37000円。なかなか普段の生活では手が届かないが、このクラスのワインをたまに飲んでおくことは自分のなかに基準をつくるためにとても大事なことだ。
3年前、ローヌを訪ねたときは南部だけで、北部に気が残った。まだ見ぬエルミタージュの丘への思いはいよいよつのるばかり。

2009年3月12日木曜日

花より先に開くロゼ

バロン・フィリップ・ド・ロスシルト社のPRをしているH社から試飲用に送ってもらったル・ロゼ・ドゥ・ムートン・カデ2007を抜栓。この3月に発売になったばかりの新商品だ。華やかで品のある紅色。開けたての香りはフルーツというよりアスパラなどのヴェジタブルを感じる。口に含むと舌先にふっと甘みが触れる。このほのかな甘みがすごくいい。ザクロのような、ルビー・グレープフルーツのような。ムートン・カデ(赤)には残念ながらいままであまり良い印象がなかったが、今回のロゼはすばらしい。なぜバロン・フィリップがいまどきボルドー・ロゼを?という疑問は実物の出来の前に雲散霧消してしまった。部屋に春が満ちるようだ。桜の花の下で飲んだらさぞや旨かろう、タヴェルのロゼと飲み比べてみたらどうだろう、と楽しい想像がふくらむ。録画してあったドラマ『神の雫』の最終回を観ながら続きを飲む。遠峰一青の真似をして「おぉぉぉぉー!」と唸りながら、またグラスの中身を飲み干す。ドラマは視聴率が悪く放映打ち切りの憂き目を見たそうだ。気の毒だが、あのつくりでは無理もない。ワイン好きにかぎって『神の雫』やパーカー・ポイントのことを悪く言うが、僕はあえて反対の立場に立とうと思う。これを語ると長くなるので手短に言えば、神の雫の作者やロバート・パーカーは少なくとも人の耳目に自らのワイン観をさらして生きているのだ。主体的にワインと関わることのできる飲み手がいったいこの世に何人いるだろうか?

2009年3月11日水曜日

シェリーは別腹?

昨夜は、恵比寿3丁目のバル白金でF誌2月号に掲載されたシェリーをめぐる旅記事の打ち上げ。シェリー委員会のAさん、F誌編集担当のF君、カメラマンのK君と僕の4人で個室に陣取り、マンサニージャに始まって、フィノ、アモンティリャード、オロロソ、果てはアルマセニスタものやパロ・コルタード、ヴィンテージ・ソレラまで、甘口以外はリストの銘柄のほとんどすべてを頼み、タパスをあてに大いに飲んだ。F君を除く3人でヘレスの取材に行ったのは去年の9月。半年も前のことだ。取材したボデガの名前が出てくるたびに「ああ、行ったよね」とはなるのだが、なぜか話は取材時の回想にはならず、直近の話題ばかり。ペルーへ蒸留酒ピスコを飲みにいったというAさん、おとといスマトラから戻ったばかりのK君、中川前財務省のローマでの失態に一言あるF君と揃っては、もはやヴェネンシアもアルバリサ(あの地方独特の白い土壌)もタバンコ(樽からシェリーを注いで飲ませる飲み屋)もブレリア(ヘレスのフラメンコスタイル)も遠い話だ。ここ半月ほど、例の某女性誌用ワインリストにかかりきりで、白赤泡一辺倒にやや飲み疲れ気味だった僕にとってはシェリーの酒精強化の成分がカラダに新鮮且つ快かったようで、いつにも増しておいしく感じ、気のおけない連中と飲んでいるというシチュエーションが楽しいのも手伝って、飲んでも飲んでもまだイケる気がした。

上機嫌のまま家に帰り、飲みかけの赤を飲む。前夜はアルゼンチンのシラーに軍配を上げたが、1日経って、モンテプルチアーノが逆転。あれだけシェリーを飲んだ後なのに、しかも花粉症が出て嗅覚はゼロに等しいのに、グッと覚醒するような優美な味であった。現代的な造りに見えて、そこはやはりイタリアワインなのだなあ。

昼間、インポーターN社のSさんからのメールに「ピータンとエルミタージュの白を合わせたらおいしかった」と。ローヌのワインは中華と合うとは言うけれど、それはあくまでも南のほうのスパイシーな赤の話だったはず。ピータンと白とは!? ぜひとも近々に試してみなくては。

2009年3月10日火曜日

白熱の日韓戦の後はラティーノ三つ巴戦

TVで野球のWBC、日韓戦を観ながらイタリアの白を2本(プリマテッラ ピノ・グリージョとエスト! エスト!! エスト!!!ディ・モンテフィアスコーネ)試飲。サムライジャパンが0-1で惜敗した試合を見終えた後、赤を3本試飲。アルゼンチンのシラーで「世界のシラーランキング第4位」に入ったというふれこみのカリア・マグナ シラー2006、アルゼンチンにイタリア品種を持ち込んで造ったコロニア ラス・リエブレス ボナルダ2007、イタリアのグラン・サッソ モンテプルチアーノ2007。いずれも1000円台前半。濃いけれど鮮やかな色合いといい、開けたてからバニラと赤い果実を中心とした良い香りが立つところといい、3本には共通するところがある。テイスティンググラスから大ぶりのグラスに注ぎ替え、ほったらかしにして待つこと1時間。よく似ていて隣の保育器の中身と区別のつかなかった赤ん坊に、やがて個性や自我が出てくるように、3つのワインもそれぞれのキャラクターと実力を見せ始めた。頭ひとつリードしたのはシラー。瑞々しい果実と落ち着きが同居。余韻もいい。優等生すぎるのが気になるくらいの完成度だ。M・ロランがコンサルティングするワインを彷彿とさせる現代的な味わい。第2位はモンテプルチアーノ。香りは上品、バランスも良い。イタリアワインには幻想がある僕としてはつい評価が辛くなるのだが。2つに比べて時間とともに見劣りがするようになったのがボナルダ。後味に醤油のような風味があってそれが気になる。まあ、それでも劣化臭がするわけではなく、新奇なワインを飲んだ気がしたという点ではボナルダに軍配を上げてもいい。そのくらいの差なのだ。
これにて、某女性誌向けワインリストのための試飲はほぼ終了。世界をあらためて旅したようで、ワインの現代化、グローバル化などいろいろと見えるものがあり面白かった。

2009年3月7日土曜日

淑女、イケイケ、パバロッティ

金曜の夜。個人的な祝い事にかこつけて友を誘い早稲田のスペインバル、ノストスへ。何かあったときに開けようと思って寝かせてあったケルチェッキオ ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ1998と、仕事の延長で試飲用のシャトー・デュ・クレレ ミュスカデ2007を持参。対して、店主が「on the house」で用意してくれたのがクアトロ・パソス2006。これはスペイン北西部、ビエルソという土地の産で、最近話題のメンシアという品種によるもの。飲んでみたいワインだったのだ。飲み手は僕を入れて4人。店主夫妻もときどき参戦。まずはカンポ・デ・ボルハ(リオハの南)のミローネ3兄弟から。「3兄弟」はテントウムシの絵が可愛らしいラベルが白、ロゼ、赤と揃ったところからわれわれが勝手に命名。税込700円台という価格からすると優れている。とくにロゼは2000円といわれても納得するだろう。ムール貝が出てきたのに合わせてミュスカデへ。バランスよく風格のあるワインで淑女を連想させる。勢いづいてクアトロ・パソスを抜栓。黒地に光沢のあるピンクでクマの足跡が描かれたラベル(クアトロ・パソスは4つの足跡の意味)から感じられるイメージ通りの溌剌とした香り。果実もスパイスもいきいきとして飲み手のテンションを上げてくれる。淑女から一転、こちらは相当遊んでいる女という感じ。モツをトリッパ風に煮込んだ料理が出てきたところで、満を持して、デキャンタージュしてあったブルネロを注ぐ。スペインバルにイタリアの銘酒とは掟破りだが、祝いの席に免じて今夜は許してもらおう。97年、世紀のグレート・ヴィンテージといわれた年の収穫期に取材で現地にいるという幸運に恵まれ出合って以来、ブルネロは僕の心のワインである。いつ飲んでも、若くても熟成したものでも、一度も裏切られたことがない。ミラノに住む友人のMが一時帰国するたびに必ずブルネロを持ち帰ってくれるのだが、今宵開けたのもその1本である。Mの奉仕に応える術を僕は知らない。ただ感謝するのみである。クマの足跡でテンションを上げた一同だったが、一転、ブルネロのパバロッティの独唱のような壮麗な趣に言葉を無くしてただ唸る——。序破急、いや、起承転結? どう表現するにしろ、誰が演出したわけでもないのに、構成力のあるエンタテイニングな飲み会であった。

2009年3月6日金曜日

泡沫的インド事件

某女性誌ワイン特集向けリストアップもそろそろ大詰め。大手広告クライアントからの掲載要望(という名の掲載強要)ボトルがメールで届き、それを入れ込むのに“持病”の拒否反応が出るが、もともとが雑誌というのはそういうふうにして成り立っているのだと、過去にも何度も自分に言い聞かせてきた同じ台詞をまたもや自分に浴びせて、それでも一矢を報いるつもりで(誰にだ?)リストの精度を上げるべくエクセルの画面を睨む。泡、白、赤、記念日用というくくりで各15本、つまり全体で60本。この数字、多いと見るか、少ないと見るか。各テーマに産地、品種、味わいや造りのスタイルをバランスよく配し、インポーターも散らしてとなると15本は意外と少ない。逆にリストアップしたボトル数+αの大半を試飲していることを考えるとその数は膨大——。

というわけで、夜の自宅試飲は昨日も今日も明日も続く。昨夜は、泡2本。
1本目はインド(!)のスラ・ブリュット。価格は1500円ほど。正直、物珍しさで候補に加えたのだったが、これがオドロキモモノキインドのシュワシュワ。端正で奥行きもあって、ブラインドで出されたら間違いなく5000円以上のシャンパーニュと答えるだろうという出来。アラン・デュカスやアンジェロ・ガヤが絶賛したとネットに出ていたが、それだけのことはある“事件”である。そういえば一昨年ミシェル・ロランにインタビューしたとき、彼がインドのワイン産業の侮れない現況と展望を語っていた。われわれの石頭が認識をアップデートするよりもずっと速くに世界の銘醸地は拡散・移動しているのだ。
2本目はカバでドゥーシェ・シュバリエ・ドライ。恵比寿パーティの売れ筋で1350円。先のインド産に比べると甘みが勝るが、その完熟バナナのような風味に馴れてくると、包容力を感じて飲み飽きない。
インド→カバ→インド→カバとやっているうちに楽しくなって、すっかり酔っぱらってしまった。

2009年3月5日木曜日

仮面ライダーといたずらっ子

ポルトギーザー、ドルンフェルダー、フリューブルグンダー……『仮面ライダー』に出てくる改造人間の名前ではない。今夜飲んだラオスブープというドイツワイン(赤)に使われている品種名だ。調べてみるとポルトギーザーはポルトガルから伝来したと信じられている品種。ドルンフェルダーは1955年に交配によって生まれた新品種でカベルネ・ソーヴィニヨンの対抗馬になると目されているもの。フリューブルグンダーはピノノワールの突然変異によって生まれた品種。冷涼で本来はぶどう栽培の適地とはいえないドイツでは、古くから品種の実験や開発が盛んだった。リースリングを基軸に“フレッシュ&フルーティ”で一時代を創ったものの、その栄光も長くは続かず、いまは特色ある赤を生み出そうと各地で奮闘しているとどこかで読んだ。ラオスブープとは「いたずらっ子」のこと。香りは濡れ落ち葉を含んでボルドーを思わせ、口に含むと熟したブルゴーニュのような趣があるこのワイン、まさにその名の通りのイメージである。いや、数々の奇譚・名作を生んだこの国のこと、いたずらっ子にも僕の知らない深いいわれがあるのかもしれない。

もう1本抜栓したのはリバー・ルートのカベルネ・ソーヴィニヨン2006。アメリカワインのような名だが、じつはルーマニア・ワイン。ルーマニアとは「ローマ人の土地」の意味なのだし、東隣のモルドヴァは最古のワイン産地のひとつ、となればルーマニアにも当然古くからワインがあったのだろうが、目にするのも口にするのも初めてである。1000円台前半の値段からしても高級感や洗練は期待していなかったが、濁って酸っぱくて野暮ったくて古風で、それがかえって面白い。ラベルにそうだと記されていなければ誰もこれがカベルネだとは思わないだろう。ワインの近代化、グローバル化を象徴する品種で造られた懐旧のワインといった感じ。思えば2年ほど前に飲んでいまも強く記憶に残っているモルドヴァのワインも、これに通じるものがあった気がする。ほんの何年か前まで、世界のワインの大半はこういう味だったのではないかと想像させる味。

2009年3月3日火曜日

ロゼワインをキャンディ水にする魔法?

昨夜の試飲(某女性誌向け)は白とロゼの2本。グレイス甲州鳥居平畑2007とヴァンクゥール・ヴァンキュ2007。前者は仕立ての良い男ものの浴衣のよう。後者は紅玉のような酸味を持つ可憐なワイン。一昨日(目黒のバルで)飲んだのがいずれ劣らぬ個性派揃いだったから、この日の2本はなんだか儚すぎて、きれいな水を飲んでいるようだった。

某インポーターから試飲用ワイン4本届く。内訳は豪州のロゼ・スパークリング、ロワールのミュスカデ、モンテプルチアーノ・ダブルッツォ、そしてなんとルーマニアのカベルネ(!)。夕食時にロゼ・スパ(ジビッボ)を開ける。食事と合わせるにはいささか甘すぎるが、某女性誌の企画意図には合いそうなキュートなワイン。
お笑いコンビ、オードリーの春日がキャンディを溶かした水を冷蔵庫に常備してジュース代わりに飲んでいるという話を聞いてからというもの、ロゼワインを飲むたびにそれが思い出され、ついキャンディ水のイメージに引き寄せられて試飲が狂う。困ったもんだ。

今夜は雪。そのせいか否か花粉症の症状が重い。もう1本試飲用のボトルを抜栓したいのだが、鼻が利かぬとあってはその気も起こらない。ふと思い出して、先日人に訊いたにがりを使った鼻うがいを試してみる。これが、まるで水の中で仰向けになるような苦痛を鼻に引き起こすのだが、その苦痛が退いてみれば、驚きの即効。

2009年3月2日月曜日

小便から香気

早稲田でスペインバルを営むK夫妻と目黒のキッチンセロへ。僕は4回目、K夫妻は初めてだが、彼らにとっては流行りの同業店をちょっと偵察という気持ちもあっただろう。今夜僕にはひとつ目的があった。この店に置いてあるはずのボー・ペイサージュという日本のワインを飲んでみることだ。グラスワインのリストにお目当ての銘柄の白(シャルドネ)・赤(マスカットベリーA)が1つずつ載っていた。まずシャルドネを注文。大ぶりのグラスに注がれたのは濃い黄色で濁りの残るワイン。抜栓したてだからゆっくり飲んでくれと店の人が言うのだが、飲み始めると最初たくあんのような匂いがあり次第に果実が上がってくるのが面白く、あっという間に飲んでしまった。自然な造りであるらしくアルザスのワインを思い出し、マルク・テンペのロゼを一杯。その後でマスカットベリーAをいったんは注文したが、思い直してボトルでは何があるかと店の人に訊いてみた。もともと飲んでみたかったのはメルロだったのだ。在庫を調べに行った店の人が戻ってきてラ・モンターニュ2005があるという。メルロ100のやつだ。迷わずそれを注文。匂いからして邪気がない。味はといえば、これはぶどうに無理をさせていないなと確信するような健全な味がした。ワインの評判というのはあまりアテにならぬものだが、これは世評通りの傑作である。日本にも飲み手を驚かせる逸品があると予想はしていたのだが、これはまさにそれに値する1本。一同等しく感嘆し、ボトルはすぐ空になり勢いも出て、もう1本何かを開けようとなったが、それにふさわしい1本が見つからない。タウンター席の背後にあるセラーからグラスで飲めるものを仏・伊・西と3種選んで回し飲みするが、ラ・モンターニュに如くものはなかった。
よく飲んだ。こういう夜は就寝後数時間で目が覚めてしまう。寝室を出てトイレのドアを開けて驚いた。個室がフルーツコンポートのような香気に満ちているのだ。就寝前に用を足したときにわが身が発したものらしい。長年ワインを飲んできたが、こういうことは過去数度しかない珍事である。

おとといの土曜は夜、友人Yを呼び、某女性誌のワインリストのためのテイスティングに付き合ってもらった。白4本、赤2本とはかどった。出色は、白ではロージュリル バスティド・ドゥ・ガリーユ ヴィオニエ2007、赤はグリフォネ サンジョヴェーゼ・ディ・ロマーニャ2005、サンタ・デュック エリタージュ(NV)のいずれもよく出来ていた。逆にアルゼンチンのシャルドネが不合格に。某ワイン誌の評を頼りに入手したものだったが、当てが外れた。こういうことがあるからやはり自分で飲んでみなくては、との思いを新たにする。

2009年2月27日金曜日

樽香と塩ラーメン

某女性誌のためのワインリスト作成で今日も日が暮れる。価格の制限のあるなか、産地、品種をバランス良く揃えるのはなかなかに至難である。

以前にオファーのあったスペイン・ムルシア地方のワイナリー取材の件、媒体は当初狙っていた2媒体(=カメラマン同行)ではなくひとつのみだが行かせてもらうことにする。いまはひとつでも多くの産地訪問を経験しておきたい。

夜、豪州のケイヴス・ロード シャルドネ2005を抜栓。一昨日開けたチリのカルメン ソーヴィニヨン・ブランと飲み比べる。シャルドネはいきなり樽香が鼻につくが総じて悪くない。カルメンは初日の初々しさはなりを潜め、ひねた別の味わいを見せた。この飲み比べでひらめいたことがひとつ。かねがね、新世界の樽のかかったシャルドネには違和感があったが、今夜の飲み比べで、それは昨今の塩ラーメンにおけるあっさりとこってりの間に横たわる深い溝と相通じることだと悟った。塩ラーメンと聞いたとき、年齢のせいか、僕が連想するのはあっさりとして繊細な味わいのスープだ。しかるに、この頃流行りの、若い連中がつくる塩ラーメンはこれでもかというほどダシのきいた脂ギトギトのこってり系。それを現代風と呼ぶのなら老兵は去るべしだ。樽を利かせたシャルドネこそはまさにこのこってり系塩ラーメンだと思うのだがいかがだろう? 同じ樽をかけたシャルドネでも、先日の試飲会で飲んだブルゴーニュのそれのように、バター香という魅力として付加されるものもあるのだ。対して新世界の樽香は本当のダシの旨味を無視した安易な鰹節粉末の出す味わいの如し。
ケイヴス・ロードを悪く言っているのではない。1000円台前半の価格を考慮すれば、これはとても良くできたワイン。ことに晩飯の残りの切り干し大根と鶏とヒジキの煮物にはよく合ったのだ。

白比較の後、昨日開けたグレヨン・カオール2006の2日目を楽しむ。ボルドー右岸に比肩するふっくらとしたエレガンス。この1280円は大発見である。

ワイン本の原稿に何日かぶりに取りかかる。林立飲みに必要なグラスとデキャンタのところ。実践こそが今回の本の肝であると思うからこそ肩に力が入る。

2009年2月26日木曜日

爆弾以上のエロ!

一昨日の話。六本木のホテルでフランス食品振興会主催のブルゴーニュ試飲会。白はほどほどにして赤を中心に攻める。まず突出していると感じたのはドメーヌ・アルベール・モロ。ボーヌ1級の畑違いを4種類飲んだがいずれもフルーツ爆弾。それを凌ぐ感動を覚えたのがドメーヌ・トープノ=メルム。こちらは肉欲を刺激。ジュヴレ・シャンベルタン、シャンボール・ミュジニー、モレ・サン・ドニ。装いは異なるが衣の下の肉体のエロチシズムは同じという感じ。廉価(2000円台)のパストゥーグランでさえもムラムラ……。
試飲は例によって実飲に転じ、鼻の奥に樽香を感じながら練馬へ移動。練馬文化センターで立川談志を見る。前回見たときよりも状態はよさそうだったがまだ本格的な演目はむずかしそう。だが小話と簡単な古典で充分に魅せるのはさすがホンモノである。
練馬の帰りに早稲田に寄り、スペインバル・ノストスに顔を出す。客はいつもの早稲田の先生のみ。白ワインを飲み、カラスミを食う。店主夫妻と互いの近況を語り合う。早稲田の後さらに渋谷に寄り寿司を食ってビールを飲む。マグロとツブガイが旨い。平日だというのにこんな呑気な過ごし方でいいのかと少しだけ思う。
深夜家に帰っても体のなかからピノノワールがにじみ出てくる感じがした。談志もスペインワインもツブガイも通り越してなおも匂い立つエロチシズムよ!

2009年2月20日金曜日

こういう夜があるからワインは……

夜から久しぶりに雨が降って、それに合わせるように気分もブルーになった。このブルーの原因は何かと探れば、これといった大きなものなないのだが、小さな不愉快の集積といったところか。こんな夜はワインにたのんで元気を取り戻してから床に就きたい。きょうは懸案の某女性誌ワイン特集のリサーチ(試飲)用にネットで3本を注文したほか、パーティで3本、信濃屋で3本のワインを買った。そのうちの1本、サンコムのリトル・ジェームズ・バスケット・プレス レッドを抜栓。グルナッシュ100。ノンヴィンテージだが2003のぶどうだけで造られているらしい。ジゴンダスの名手と言われるオーナーがわが息子のためにつくったエチケットというだけのことはあって、愉快なイラスト6点が表を飾るボトルはとても愛らしい。開けてすぐにラズベリー、ブラックベリー、バニラに丁字。色も「赤ワイン色」といいたくなるようなてらいのない美しい赤紫。パーカーが89点を付けたというが、なるほどわかりやすくて、果実味といい凝縮感といいPPが高くなる要素が揃っている。たくましくはないが元気で、無垢な少年のよう。知らぬ間に機嫌がよくなっている自分に気づく。こういう夜があるからワインは止められないのだ。

2009年2月19日木曜日

黒と茶、それぞれの道行き

某女性誌ワイン特集の件で担当者と顔合わせ&打ち合わせ。話すうちに「ワイン民主化」の思いが共通していることがわかり気をよくする。特集でリストにするワインの価格帯はまだ確定しないが、現状を汲むことができそうでひと安心。さっそく渋谷のやまやでリサーチ。カルメン(チリ)のソーヴィニヨン・ブラン・レセルバなど4本を購入。

早稲田でスペイン・バルを営むKクンからメール。安くて旨いスペインワインのリストアップを頼んでいたものの返事。11本の挙げてくれている。持つべきものは友なり。ただ、白がやや手薄だったので、再度補充を頼む。

夜、ル・ジャジャ・ド・ジョーの黒ラベル(シラー、グルナッシュ)と茶ラベル(カリニャン)を試飲→実飲。黒ラベルは開けたてから派手でわかりやすく、後にやや落ち着いた。バニラ、ブルーベリー、プルーン。茶ラベルは開けたては出がらしの中国茶のようだったが、次第に説得力を現してきた。こうなると、青ラベル(カベルネ、メルロ)も飲んでみたいが「一個人」の2000円以下のワイン特集で高評されたせいか売り切れのもよう。

ワイン本の原稿は第2章の肝の部分でやや停滞中。迷いがあって書けぬというわけではないのだが、冴えた頭で集中して書く数時間がなかなか取れないのだ。むぅ。

2009年2月15日日曜日

アルマセニスタの実力

昨日はバー誤解の店主の誘いで川崎市麻生区まで出かけて立川談春の独演会を鑑賞。演目は「素人義太夫」と「三軒長屋」。とくに後者は談春の口が神業のようによく回ってすっかり引き込まれた。前日深夜にDVDで観た東京03のコントと知らず知らずのうちに比較していたが、人を笑わせるテクニック(常套手段)には古今に通じるものが多々あると感じた。

いったん戻って夕食を終えてからバー誤解へ。
アルザスのゲブルツトラミネールに始まり、チリのカベルネ、加州のピノときて、最後はルスタウのアルマセニスタ(分類表記はないがオロロソタイプ)を2杯。シェリーはもうルスタウだけ残してあとは全滅してしまっても僕はかまわない。そう思わせるほどにこの会社のシェリーはどれも出来が良い。だがまあ、そうは言ってもときには育ちの悪そうなマンサニーリャを野卑に飲りたいなんてときもあるんだから、全滅発言はすかさず撤回するとしよう。連れ合いが店主の求めに応じてつくった片口や僕が数年前にメキシコから持ち帰って店主に贈ったルチャのマスクなどの話でカウンターは盛り上がり、自分で設定した門限を90分ほどオーバー。いやはや……

2009年2月14日土曜日

佳きマリアージュは意外なところに

今年も建国記念日を合図に花粉症の症状が無視できぬレベルまで上がってきた。ワインのデリカシーともしばらく疎遠になるのかと思うと悲しい。加湿器、鼻うがい、レンコン、中国鍼治療に加え、今年はバリ島産赤ショウガも用いて防衛するのだが、無駄な抵抗なのは経験上わかっていること。ワインの味がわからなくなるのも困るが、さらに厄介なのは意識が冴えず、読み書きの仕事に差し障りがあることだ。

某女性誌ワイン特集のリストアップを進めるが、僕が得意としている価格帯と微妙にズレがあって思いのほか難航。わずか数百円のズレなのだが。でもまあ、これも未知のワインと出会える好機ととらえ、またリストに向かう。

花粉症を押してワイン探訪は続く。一昨日、信濃屋で買い求めたブルゴーニュ2本を2晩かけて飲み比べ。ドメーヌ・ユドロ・バイエ ブルゴーニュ・パストゥーグラン2006とドメーヌ・マシャール・ドゥ・グラモン ブルゴーニュ・ルージュ ル・シャピトル2006。造り手も土地も品種構成(パストゥーグランにはガメイがブレンドされている)も違う両者の酷似ぶりはどうだ? 時間経過による変化までそっくりとは……。なかなか風味が上がってこないのにじれて、半ば自棄になって乾燥イチジクをホワイトチョコでコートしたものを口に放り込みワインを飲んだら、これがじつに良く合って、ピノのイチゴ風味が格段に増すのだった。佳きマリアージュは意外なところに潜んでいる。

2009年2月12日木曜日

休日にワイン代を稼ぐひとつの方法

昨日の建国記念日、朝からフリマに参戦。生まれて初めての経験だったが、世相が見え、人が見え、おのれの意外な一面も見えて面白い。路上に腰を下ろした姿勢から見上げる風景も新鮮。出たとこ勝負の感覚は旅のそれに近い。40ほどのアイテムが飛ぶように売れて約8000円の売り上げ。利益は半分くらいだが、ワイン代としては申し分ない。「要らないモノは売れるモノ」を痛感。早くも次回の参戦に思いを馳せる。

夜、サッカーワールドカップ最終予選の日本vs豪州戦をTVで観た後、スノークォルミー・シャルドネ2007を少しだけ冷やしてから抜栓。コロンビア・ヴァレー。芳醇で人懐っこい。加州のワインにありがちな甘ったるさがこれにはないのがいい。10%だけブレンドされているというヴィオニエも効いている。ワシントン州のワインはどれもこれもリズナブルで旨く期待を裏切らないなあ。シアトルの旧友に久しぶりにメールでもしてみようか。

2009年2月10日火曜日

渡りに舟、ワインにトルコ丼

昨夜はなんの祝いでもないのに、秘蔵のクロ・ピュイ・アルノー2004を抜栓。2年前の7月、ボルドー取材の折りにヴィノテークで買って別送したものだが、あんまりに旨くて、思わず仕事部屋のmacへ走りネットで追加注文(2005しかなかったが、むしろ望むところ)。以前は3000円台だったと記憶するが2005は4000円台の後半。いやはや……。飲みごろといえばそうかもしれないが、去年の夏も猛暑の部屋にほったらかしだったのに、開けてすぐに立ち上るうっとりするような芳香はどうだ? しばらくワインだけで楽しんだ後、前日の残りのクミンとナツメグで風味を付けた合挽ともやしの炒め物に玄米&押し麦を混ぜたトルコ風丼のようなものを食べながら飲んだが、これも良く合ってまたもやうっとり。

某女性誌編集部からワイン特集の仕事の依頼。僕の役目はカジュアルワインのリスト出しのようだ。ちょうど奮闘中のワイン本のためにもリストアップが必要だったから渡りに舟である。

オバマ大統領の演説に関する本の原稿をお願いするべく、T外語大学教授のT女史にメール。うまく企画成立となればめでたいのだが。ワインだけじゃ食えないものなあ。

2009年2月9日月曜日

加速のち失速

朝起きて携帯の着歴を見ると珍しく老父からの電話。こちらからかけてみると大した用でもなかったが、それが却って妙に気にかかり、なんだかわが精神に作用したらしく、午後からは久しぶりにワイン本の原稿が進んだ。なんだっていいのだ、燃料になるものはなんでも燃やして書いていかなくては。ようやく第1章の終わりが見えてきたのだが、上手い終わり方が思い付かず失速。ここは焦らず、他所を攻めてからまた舞い戻るとするか。

昨夜は前夜開けたトリカスタンの残りを飲む前にシャトー・メルシャン 甲州グリ・ド・グリ2007を抜栓。ピーチイエローがかった色合い、ふくよかな香り、しっかりとした飲み応え、軽い苦みをともなった大人なアフター、すべてがすばらしい。ここまでグッときた国産ワインは初めてだ。ブリの刺身、トコブシ煮、牡蠣フライと3つのつまみにぶつけてみたが、どれにもそこそこ対応。とくにブリとの相性がいい。醤油やワサビも含めて合うのだから、これなら甲州が寿司に合うという近ごろよく耳にする定説も頷ける。食後、トリカスタン(前日よりもクセが抜けて果実味優勢)と甲州を行きつ戻りつしながら飲む。互いに照らし合って、これまた楽しい!

2009年2月8日日曜日

ラーメンとワインの、無理という道理

表参道のGAPを覗いたあと、滅多に行かない表参道ヒルズを冷やかしに。
ラーメンの「ちゃぶ屋」が出店していたので、話の種に入ってみることに。ラーメン屋といっても、そこはコースメニューはあるわ、前菜もデザートもある。ワインリストは自然派ばかり15種類ほども揃えている。しかもすべてグラスでもオーケー。
連れは白、僕はロゼを注文。前菜に天元豚のスモークと蒸し餃子サラダ。と、ここまでは良かったのだ。ワイン自体はどちらもおいしかった、前菜もまあ健闘していたといえるだろう。ではあるのだが、隣の席で客がズズズズズと麺をすすっているところでワイングラスを傾けるのはやはり違和感が大きすぎる。ワインはもっと気取って……などと言いたいのではないのだ。ただ、やはり世の中にはマッチングというものがあるだろう。ラーメンにはラーメン的な環境、しつらいというものがある。ワインにもワインなりのそれがあるのだ。さらに言えば、ラーメンというのはひとたび卓に登場したらばすぐに箸を付け、そのまま一気に食い通さねばならないものだろう。その合間にワインというのがいかにも無理なのだ。それが道理というものだ。

夜、M・シャプティエのコトー・デュ・トリカスタン2006を開ける。いきなり蜜と金属の匂い。そこから、鶏肝のワイン煮→ナマコ→ムスクときて、だいぶんあとになってようやく赤い果実とハイビスカスの花が上がってきた。自然派のなせるマジックか。じつにおもろいワインなり。トリカスタンがどこのアペラシオンかも知らずに開けたが、あとで調べてローヌ(南部の北の方)だとわかってみると、たしかに「らしさ」があるな、と、これは負け惜しみ。

2009年2月6日金曜日

ムルシアってどこやねん?

スペインのマイナーな産地、ムルシアのプレスツアーの誘いが来た。が、条件が悪く参加は難しそう。いまはどこでも行っておきたいところなのだが。調べてみると、ヘクラやカスターニョの産地で知らない仲じゃない。

ワイン本の執筆、ここ数日は97年に行ったイタリア取材とその後のバーAZでのエピソードを書いている。久しぶりに当時の「ペン」を読み直し、過ぎた時間に物を思う……とか言ってないで、もう少し原稿のスピードを上げなくては。

バロン・フィリップのPRを手がけることになったH社のSさん、Yさんと白金のモレスクで会食。シャンパーニュ、アルザスのリースリング、ローヌの赤とすべてグラスで。デザートに合わせるのにバニュルスはないかと訊いたら、なくて、代わりになにやら南仏の遅摘み甘口を飲む。話が弾み4時間くらいいたか? モーターリゼーション雑誌編集長のSさん、カメラマンのYさんらと立て続けに遭遇。流行りの店は狭い! 

2009年2月3日火曜日

草分け的重鎮の言葉に励まされる

「ワインは人生を楽しくするものです。日本では知識や情報にとらわれて難しく考えすぎ。まるで『ワイン道』。直感で『好き、おいしい』と感じるのが一番です」(2/3朝日新聞朝刊より抜粋)ワインジャーナリストの草分け、有坂芙美子さんの言葉に励まされる。彼女が40年前にワインと出会ったのがナパだったことも、休眠状態だったコマンドリー・ド・ボルドーの活動を再開させて地区代表になったという話にも、自分との共通点を見つけて勝手に追い風を感じる。

2009年2月2日月曜日

甘口オールスターズ

昨夜は今年になって初めていつもの原宿のバー誤解へ。零時半頃入店したが客は僕と連れの2人のみ。1月に結局一度も行かなかったのは途中に店主が体調を崩していたこともあるが、異例の事態である。マルクテンペのピノから飲み始めた。店主がドイツのアイスワインを注いでくれたから、バニュルスと飲み比べてみようと思い、「ある?」と訊ねると、いきなり店主のスイッチが入ったらしく、バニュルス、カレラの甘口、ソーテルヌ、ペドロヒメネス、カナダのリンゴのアイスワイン、僕が以前に持ち込んだマデイラと「甘口オールスターズ」がずらっとカウンターに並んでしまった。店主に注がれるままにストローグラスで少量ずつ味見。甘口にもそれぞれに個性というか「立場」のようなものがあって楽しい。やはり家で飲むのはケ、店で飲むのはハレだなと再認識。最後はシェリー樽フィニッシュの国産シングルモルト、イチロー。完璧。

ワイン本の原稿は、20年くらい前のエピソード(「ワインには2種類しかないんだよ」)を書いた。P.G.ハマトンの引用が効いているか、いささか不安。いまのところアタマから順番に書いているが、なんとなく書くべき文体や方向性が見えてきたので、これからは思いついた部分から少しでも書いていけるように、ファイルを分けることにした。巻末に載っけるつもりのワインリストも随時進行する。

2009年1月30日金曜日

あるところにはあってないところにはないもの

スペイン大使館経済商務部に挨拶に行く。「ワイン+旅」ムックのシリーズ化を目論んでの営業活動の一環。他のワイン産地同様、スペインもPR関係の予算がどんどん減らされているとのこと。こうなると円高も痛い。が、とにかく、ジャーナリストのリストに僕の名前を載っけてもらえるとのこと。「お付き合い」が始められることで成果とする。

帰途、恵比寿のパーティに寄って3本購入。ヴォーヌ・ロマネのぶどうだけを使ったブルゴーニュのクラシック・スタイル(ブルゴーニュ・ルージュ ラ・コルヴェ・オー・プレトル ドメーヌ・ド・ラ・プレット2006)、ずっと気になっていた1500円のスプマンテ(サンテロ)、以前に白は飲んだが赤の評判がいいので飲んでみたかったスペイン(エルカビオ・ロブレ2006)。

バロン・フィリップ・ド・ロートシルトのPRを任されたH社のSさんからラングドックのヴァン・ド・ペイ、カラバスの赤白各1本がきのう届いた。赤はシラー主体の混醸、白はシャルドネ100%。きのうからきょうにかけて飲んでみたが、いずれも上品にまとまっていてそつがなく2000円台の値段を考えると優秀なワイン。ただ、優等生にありがちな冒険心のなさはちょっと気になった。

今宵は、『ロスチャイルド家』(講談社現代新書)を読んでお勉強。ワイン本の執筆は進まず。

2009年1月29日木曜日

革命は一日にして成らず

昨夜は六本木でチェ・ゲバラの映画『チェ 28歳の革命』を観に出かけ、深夜に帰ってから、前日に開けたカサーレ・ベッキオ・ファルネーゼ2007の残りを飲んだ。映画の主演俳優ベニチオ・デル・トロは映画の準備に10年もの時間を費やしたと、どこかで読んだ。僕はいま手がけているワイン本のことを考えた。書店には毎月続々とワインに関する新刊が新たに並んでいる。経済的なこともあって、早く自分も本を世に出したい。しかし、まだ版元には企画書すら出していない。日々焦りは募っていた。が、一方で、同じ出すならちゃんとしたものを出したいという思いもある。
午前3時前からmacに向かい、少しだけ第1章の冒頭部分を書いた。15年くらい前に中目黒のワインバーでワインを本格的に飲み始めたという、ごくごく個人的なエピソード。

2009年1月27日火曜日

前書きはほぼ完成

ゆくゆくはワイン本になるべき文章のタイトルは「ワインは友だち」とした。芸術的でもお洒落でもないが、シンプルで力強く、親近感が湧くタイトルだと思う。ワインを特権階級の手から解放し、民衆の手に取り戻そうとのメッセージもここに込めたつもりだ。このブログとは別に原稿用のブログを立ち上げ、今日まで3日かかって前書きはほぼ書き上げた。対象は30代女性と50代、60代の男女で、ワインに興味はあるが、敷居が高いのではと躊躇して深入りしないでいる人たち。文体は「です・ます調」にし、自分のことは「僕」にした。

今日はバー誤解に行くつもりだったが、昨夜に引き続き店主が行方不明。あいつ、さては風邪でも引いたか? 致し方なくうちにいて、カサーレ・ヴェッキオ モンテプルチアーノ・ダブルッツォ2007を抜栓。ワインショップのポップに『神の雫』のコピーが載せられ、そこに「イタリアのモンペラ」とあったが、モンペラほどの独自性はない。現代的で、イタリアワインのよさもちゃんと備えたおいしいワインだが、それ以上に語るべきものは今夜の時点では感じられなかった。2205円の明日に期待。

2009年1月24日土曜日

書き始めればきっと見えてくる

昨夜は久しぶりに凝縮系のワインを飲んだ。アルゼンチンのアマラヤ・デ・コロメ。マルベック主体だが、カベソー、シラー、タナー、ボナルダを混醸。ここしばらくの間、勉強の意味もあってピノノワールを集中的に飲んでいたので、新鮮な気分。ピノの世界もわからぬではないが、やはり僕の性分にはこういう朗らかで外向的なワインが合うのだろう。

ところで、ワイン本の企画のこと。コンセプトや構成のことであれこれ思案してばかりいてもなかなか先が見えない。案ずるより産むが易し。とにかくアタマから、あるいは書きやすいところから書いてみたらどうかと思い立った。早朝、愛猫に起こされた直後のベッドの中でのことだ。教育テレビでNHK交響楽団がショスタコーヴィッチとヤナーチェクを演奏していて、これに励まされる感じで、頭のなかに書き出しの文言が浮かんできた。こういうのを逃してはならない。トイレでしゃがみつつ、わが精神に気合いを入れる柏手をパンと拍って、紅茶とコーヒーを立て続けに飲んで、PCに向かう。iTunesで先述のどちらかの音を買おうと思って視聴したが、けっきょく流れ流れてマーラーの『巨人』をダウンロードし、それを聴きながら、簡単な構成案を作った。悪くないスタートだ。さあ、またまた新たな旅を始めるとしよう。

2009年1月23日金曜日

見る前に跳べるか?

日々飲むワインのことやワインについて思うことを書き留めよう。そう思って突然ブログを開設した。タイトルの「飾りじゃないのよワインは」には、おいしいワインを庶民の手に! という思いを込めたつもり。

昨日ルイ・ジャドの試飲会に行ってきた。ルイ・ジャドは今年創業150周年。テイスティングは07年のバレル・サンプルが中心。もともとブルゴーニュに関しては知識が浅いというのに、さらにバレル・サンプルからの試飲というのではワインの良し悪しを聞き分けるのは至難の業だ。

会場をあとにし、K氏とインド料理を食べながら、去年の暮れから宿題になっていたワインに関する単行本の企画の話をする。K氏は丸元淑夫の著書を何度も引き合いに出して、今回の企画では丸元の本でいうアメリカの食事理論にあたる「ワインを飲むためのシステム」を確立し、それを標榜する必要があるという。僕にはまだそのあたりのことでは迷いがある。ワインの道に近道はない。経験が僕にそう告げている。いい加減な「システム」をひねり出しても読者に対して訴求しないだろう。では何を縦糸にしてワイン生活、ワインの楽しみ、ワイン道を語るのか? 枝葉はあって幹や根がない。これでは木は立っていられない。昨日の試飲会場で、ふとわれに返って周りを見渡した。ワインに関しては一言も二言もありそうな強者ども。彼らに読んでもらって、それなりに満足してもらえるものを書かなくてはならない。今回の企画の対象が、ビギナーであれなんであれ。