2009年4月22日水曜日

友に贈ったワインで救われる

4月16日、神宮球場でヤクルト−巨人戦を観戦したあと早稲田のスペイン・バル、ノストスへ。前々から店主のKクンが飲ませてくれると言っていたプリオラート、スカラ・デイ1993を抜栓。プリオラートが「4人組」らの手によって急速に現代化したのは80年代後半からのはず。してみると、このワインは過渡期の作品ということになるか。ネットでの売り文句は「クラシック・スタイルのプリオラート」。熟成感がしっかりと乗って、飲みごろであることは間違いないが、まだもう少し先がありそう。グラスのなかでゆっくりと開かせようと思っていたが、口当たりの良さに、ついつい飲んでしまい本領が味わえたのかどうか。仕事を終えた友人Yクンが駆けつけ、飲み手も増えたとて、さらに次のワインを抜栓。テルモ・ロドリゲス・コレクションLZ(エレ・セッタ)2006。白いエチケットの右上から女性の右腕がニュッと出ている印象的な外観。その女性の手につままれているのは赤い果実か。こちらはリオハのワインでテンプラニーリョ100%であるはずだが、チェリーキャンディを水に溶かしたような感じはブルゴーニュ・ルージュに近い趣である。細身色白の女性を思わせ、これはなかなか看過できぬの一本。テルモ・ロドリゲスのワインはガスール(指紋のエチケット)、デヘーサ・ガーゴ(gのエチケット)と飲んだが、このLZほどの感銘は受けなかった。スペインワインを語る上では避けられぬ人のようだ。今後もウォッチしてこの人のワインを飲んでいきたい。

4月19日。先月来ぼく自身(チームを率いプレーイング・マネジャーを務めている)の野球シーズンが始まってしまったもので、どうしてもこのワイン話をするべきブログにも野球の話が出てきてしまう。この日は今季5試合目の試合を午前中に戦い、ぼくのチームは今季初の敗北を喫した。相手は過去5戦してわがチームが5勝してきた相手。最近とみに実力をつけてきたとはいえ、まだまだ負けるわけにはいかぬ相手だった。が、負けた。試合後球場内の戸外パーラーで陽を浴びてビールを飲んでも、夜に場所を転じ浅草で焼き肉を食いながらビールを飲んでも、ぽっきり折れた心は元には戻らなかった。チームの部室ともいうべき原宿のバー誤解でくだを巻こうかと思いチームメイトのKに電話すると、「明日朝早いから出かけるのは無理。よかったらうちでワインでも飲まないか?」という。痛手を癒してくれるならバーだって人んちだってこちらとしてはかまわない。というわけで、夜の11時過ぎにスーパーでイチゴを買ってからK宅へ。

まず出てきたのは、カサーレ・ベッキオ(イタリア・アブルッツォ)の白。この造り手の赤は流行っているが白を見たのは初めてだ。品種も初耳のペコリーノ。酸味が控えめで厚みがあり、ローヌの白を彷彿とさせる。刺激が少なく包容力がある感じはヘコんでいる身にはありがたかった。続いては赤。じつはこれを開けるからとのKの甘言にどうしても抗えず、夜更けもかまわず、おまけにKは彼女とくつろいでいたにもかかわらず、押しかけたのだった。ワインの名は「カオス2003」。そう、2週間前にぼくがKの誕生日のために買ってプレゼントしたワインだ。造り手はマルケ州のコーネロのファットリア・テラッツェ。モンテプルチアーノにメルロ、シラーをブレンドしたまさに混沌の作。ひじょうに香りが高い。「いきいきとした香り」ではなく、たとえば遠くでなるティンパニの音が全身に響き渡ってくる、そういう香りの出方なのだ。熟した果実と樽由来の複雑な香りが太い束になっている。そしてその束を薄く覆うのは、なんと、白檀の香り。いったいどこから出てきたのだろう? ワインの深みと時間による変化を楽しみ、軽口をたたき合っているうちに2時間ほどが過ぎた。友とワインのありがたさが身にしみる——あるいは、そのための昼間の敗戦だったのかとさえ思えてくる。 

2009年4月7日火曜日

カオス、桜、飛翔体

北朝鮮が飛翔体を発射すると予告した期間初日の4日は友人Kの誕生日だった。それを遡ること2日、目黒駅地下にオープンした成城石井を覗きにいき、Kへのプレゼント用と自宅用にイタリアワインを2本買った。プレゼント用はマルケ州、ファットリア・レ・テラッツェのカオス2006。サイケデリックなエチケットとカオスの名が43歳を迎えるKにふさわしく思えた。なぜカオスなのか? その答えはおそらくモンテプルチアーノ、メルロ、シラーの混醸という品種の組み合わせに由来するのだろうが、飲んでみなければなんともいえない。
4日はわが野球チーム、バビグリンの試合の日でもあった。Kもチームのメンバーである。球場のある世田谷公園周辺は桜が満開。試合後、チームメイトと球場近くのもんじゃ焼き屋で飲み食いしてからKの自宅で飲み直すことに。カバに始まり、赤(ローヌ)、赤(スペイン)、白(ローヌ)あたりまでは順に覚えているが、その後はよくわからない。最後はリモンチェッロを飲んでいたような……。後日Kが語るところでは6本のワインが空になっていたとのこと。結局この日は北朝鮮からの飛翔体も飛来せず、カオスも闇雲に開けられることなく、無事に(?)過ぎたのだった。

北朝鮮の飛翔体が打ち上げられたのは翌日の5日だった。日が暮れてから前日と同じ世田谷公園の野球場へ。友人Dが監督をつとめるチームの試合を観戦。試合後、その場に居合わせた5人でピッツェリアのサヴォイへ。窓から夜桜も見えてちょうどいい。スプマンテ→プリミッティーボ→シチリアの白と3本を空にした。赤→白にしたのは、「ピッツァには白ワイン」という説を検証してみたかったからだったが、前夜の二日酔いから立ち直らぬままにさらに飲んだので、まともな判断はくだせなかった。
北朝鮮の飛翔体からはけっきょく何も落ちてこなかった。落ちたのは、2日続けて飲み過ぎたわが身のみ……

2009年4月1日水曜日

ワインとハードボイルド

昨夜の話。前日抜栓したエスクード・ロホ2007の続きを、読みかけのレイモンド・チャンドラー『ザ・ロング・グッバイ』の続きを読みながら飲む。ワインはいただき物。2年前チリに行く直前に一度、予習のつもりで同じワインを飲んだことがる。前夜開けたてのときは平板で魅力的とはいえなかったのだが(だからグラス一杯だけで栓をした)、2日目はグッと良くなった。チリの強烈な日差しで灼けた果皮から出たに違いない煮詰めた果実の風味。くぐもったような香りはシラー、原っぱの草の香はカルメネールか。アメリカ車のシートのような匂いを感じるのは読んでいる小説の影響かもしれない。テリー・レノックスの嫌疑とともに飲んでいくといつしかワインの味わいまでもがハードボイルドになったような。チャンドラー作品に旨いワインは出てくるのだろうか? 本人が生きていたら「俺の小説を読むときはウイスキーにしてくれないか」と言うかもしれない。

某インポーターから今月13日に行われるカンポ・ディ・サッソ社ワインメーカー来日記者会見の案内が来たが、当日は別件があって出られない。カンポ・ディ・サッソ社はロドヴィゴ・アンティノリが95年にボルゲリに立ち上げた蔵。フラッグシップのインソリオ・デル・チンギャーレは試飲会で飲んだことがあるが、濃縮感の極みで、飲み手を唸らせるものがあった。元々はミシェル・ロランのコンサルティングを仰いで世に出た蔵。今回来日するのはスウェーデン人の女性醸造家。いちいち気が惹かれる要素が揃っているだけに、出られないのが無念でならない。
12年前イタリア取材の際にロドヴィゴの兄、ピエロ・アンティノリにフィレンツェのオフィスでインタビューしたことがある。貴族の末裔にしては気さくな人物だったのが印象的だった。それから7,8年経って、映画『モンド・ヴィーノ』で見たピエロ氏は弟ロドヴィゴとの確執に疲れ果てたようで、ひどく老けて見えた。僕にとってアンティノリ家のワインはそんなゴッドファーザー的な記憶とともに飲むもの。ボルゲリという地名も心穏やかには聞けぬものがあるのだ。

夜、アルゼンチンのアラモス・トレンテス2007を抜栓。トレンテスはアルゼンチン特有の白品種だとワインショップの能書きにあった。香りからしてガツンと押し出しの強いワインである。柑橘に人工的に合成したようなピーチ、そしてライチ。しかし、最も強烈に匂い立つのは別の……えっと、えっと……何の香りだったか出てこない。あきらめてボトルの裏に記された英語の説明を読み、「ジャスミンの花の香り」というフレーズに膝を打つ。こういうのが一番口惜しいのだ。明らかに嗅いだことのある香りなのに、それが何なのか思い出せない。もどかしいし、わが脳の能力低下を思い知らされるようで気が滅入る。
気を取り直し、久しぶりにつくった「うなぎの蒲焼きのワイン煮」(レシピは田崎真也氏に教わった)に合わせて抜栓3日目のエスクード・ロホを飲む。昨日よりもさらにまとまりが出て旨くなった。バロン・フィリップもなかなかやるわい。