2010年11月5日金曜日

励ましのワイン


 今宵のお供は、ボルドー、オーメドックのマドモワゼルL 2006。格付け2級、シャトー・ラ・ラギューヌのサードラベルだ。このシャトーの女性当主キャロリン・フレイに初めて会ったのは3年前。当時、彼女は29歳だったが、シャトーを任されてすでに5年目だった。「クラシックワイン」の“本丸”であるメドックにあって、彼女はワインのモダナイズを敢行していたが、まだ女子大生のような風貌の彼女は、地に足が着いているようには見えなかった。それから2年経った09年、別の取材で彼女と再会する機会があった。痩身にカジュアルな服を着こなすセンスは変わらなかったが、その立ち居振る舞いには「当主の風格」というべきものが備わっていた。そんなキャロリンが格付け2級の「本丸」を死守しながらも、新たな試みとしてトライしたのが、今夜僕が飲んでいるマドモワゼルLであった。ファースト・ヴィンテージは2004なので、2006はこのワインにとって3度目の収穫ということになる。ぶどう自体は、セカンドラベルにも使わぬような若樹のものなのだろう。その証拠に、タンニンが粗く味わいにえぐみとも言える青みが感じられる。それでも全体から感じられるフレッシュ感、清潔な印象(実際にここのセラーはじつに清潔だった)、気持ちを朗らかにしてくれる香り……若いなりにとてもよくできたワインなのだ。そこには「金持ちの娘の道楽」と陰口をたたかれかねない状況を承知のうえで、勇躍ワインの道に飛び込んだキャロリンの矜持が感じられるのだ。これは「圧倒されるワイン」や「詩情の湧くワイン」ではない。が、俺ももうちょっと頑張ってみようかな、と思わせる「励ましのワイン」である。

いま、そこにあるワインを、きちんと



 物音で目が覚める。午前4時半。うちのなかをチェックしたが何ごともない。が、意識が冴えてしまって眠れなくなる。キッチンに行って、寝る前に飲んでいたイタリアワインの残りを飲む。夕食の残りのネギとニラと油揚げの炊き合わせを食べる。1Q84のラストを読むうちにボトルが空になる。ワインが足りない。前日の夕方買ってきたばかりのワインをチェックし、コート・デュ・ローヌを選ぶ。猫も起きてきて走ったりトイレをしたりしている。シャトー・レザムールズ2007は、少なくとも開栓直後は、よくあるキャンディー風味の凡庸なワインに過ぎない。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの10年物を飲んだ直後なのだ、多くを望むのは若いコート・デュ・ローには気の毒というもの。それでも、飲み干してしまったワインを未練たらしく語るのは別れた女に執着するがごとし。いま、ここにあるシャトー・レザムールズをきちんと賞味しようではないか。この状態では高尚なつまみなど合うはずもない。流しのそばに冷めたゆで卵があったのを思い出し、それを食ってみることにする。塩を振りかけて合わなければ、マヨネーズでもマスタードでもつけてみるのだ。

2010年10月31日日曜日

鯖ミソをめぐる三角関係


 TVの料理番組で、鯖ミソを上手につくるコツを紹介していたので、さっそく旬の鯖を買ってきて、料理。ワインは、イタリア、カンパーニャ州の白、ベネヴェンターノのグレコ2009を開けた。黄色いリンゴとパイナップルの風味がある南伊らしいワイン。グレコってくらいだからギリシャ由来の品種なのだろう。鯖ミソのショウガやミソの感じと、このワインの相性は悪くない。が、完全に補完しあう間柄かというと、そこまではいかない。ということで、きのうの飲み残しの赤、ペトリュスのぶどうのクローンを使ったスペイン、ナバーラのパソ・ラ・レイナの登場となった。開栓から1日を経て、干しプルーン、紅茶、チョコレートの風味が強化された感じ。もっとヨード香(潮の香に通ず)の強い赤ならなおよかったのかもしれないが、万やむを得ない。これはこれで、鯖の背の部分(血合い)の味にはよくマッチするのだ。かくして、白赤2本攻撃にて、鯖のみそ煮を攻略。2本を交互に飲んだら、それはそれで楽しくて、ついつい酒量は増えるのであった……。
 ところで今宵の料理とワインの関係、男女で言えば三角関係である。鯖ミソ(♀)を取り巻く2種類のワイン(♂)。あたし、白クンも好きだけど、彼だけだと物足りないの。赤クンは別の意味で好き、でも彼だけでもなにか足りない。そこで白と赤は一計を案じる。じゃあ、俺たち、嫉妬は抜きに2人で鯖ミソちゃんをよろこばせるっていうのはどうだろう? かつて、ドリームカムトゥルーが3人だったころ、♀1&♂2な関係を「ドリカム現象」といったものだが、その夜のわが家の食卓におけるマリアージュはまさにコレ。

シャブリ熟考→ワイン姫


 10月某日、シャブリのプルミエ・クリュ(1級)を2本飲み比べ。飲み比べたのは、ウィリアム・フェーヴルのヴォロラン2008とジャン・マルク・ブロカールのモンマン2008。開栓直後は前者のほうが堅牢、後者は陽性のフルーツを感じる。15分ほど経つと、ヴォロランは果実が出て、もともとのミネラルやヨードと相俟って厚みを感じるように。一方、モンマンはアフターにマーマレード風味があるのが好もしいものの、薄いままで先伸びは期待できない。ヴォロランはグラン・クリュのすぐ隣。やはりそれだけのことはある。

 シャブリのプルミエ・クリュで日本人に人気が高いのはフルショームだと聞いたことがあるが、等級が旨さと合致するシャブリにおいて、傾斜、向きともにグラン・クリュとほぼ同条件の畑なのだから、旨いのも道理。それを好みとした日本人の嗅覚はなかなかすごい。なおかつ、GCのなかではもっとも北(つまりフルショーム寄り)に位置するレ・プルーズはGCのなかでも最も優しい味わいで女性的。硬くてごついレ・クロやブランショーよりも日本人好みであるはず。つまり、旨さと優しさにおいてフルショームが日本人受けしているのだと推測した。

 このところ、複数の原稿の締め切りに追われ、ワインの表現について考えすぎているものだから、きのうの夢には白装束のワイン姫が登場した。やさしく労ってくれて、すごく癒されたが、そういう夢から目覚めてからのゲンジツは一層つらく感じられるのだった。はぁ……

ピノと鰹だし

 ワインとつまみの無限の可能性についてはよく記事にも書いているのだが、ときどき僕自身も固定観念にヤラれているなと思い知り、平手打ちを食らわされたような気分になることがある。
 しば漬けと赤ワインの相性を発見したときの話は前に書いた(と思う)。今回の発見は、ピノと鰹だし。シャンパーニュのアテにそばつゆがいいと書いていたのはたしか葉山孝太郎さん。先日、時鮭の塩焼きに合わせて抜栓2日目のAOCブルゴーニュを飲んでいて、ふとその話を思い出した。そば用にとっておいた鰹だしが鍋のなかにあった。シャンパーニュではなくて、ピノノワールにだしというのをやってみたら、これがなかなか悪くないのだ。だしをすすってからワインを飲むと、ワインのいままで知らなかった表情が見えたりする。酸味、ミネラル、旨味成分あたりにワインとだしに相通じるものがあるのだろう。
 ピエモンテの赤(ネッビオーロやバルベーラ)などでヨード香の強いものは、シーチキンの匂いとしか表現できない香りがしたりするのだから、赤ワイン=魚っぽい風味は案外自然なのかもしれない。最近は寿司屋でも白ワイン一辺倒ではなく、ピノの赤を勧めるところが増えているという。むべなるかな、なのだ。旅路は長い……。

2010年10月30日土曜日

恐るべき「農業学校ワイン」


 イタリア・ヴァッレ・ダオスタの白、ブラン・デュ・プリウール。少しアプリコットがかった艶っぽい色合いからしてタダモノではない。白い花と蜜とナッツとシトラスが渾然となった香り。やわらかい口当たりに思わず微笑む。これはちょっとした「事件」だと思い、調べてみると、造り手は、なんと農業学校! 品種はグルナッシュブランが80%、残りはシャルドネ、ドラル、シャルモン。後半の2つは聞いたこともない。土着品種か? ぶどう畑はすべて標高600m以上(冷涼地ですよタナカさん!)。年間生産量わずか1500本ながら2000円台半ばの値段とは! まあ、そんへんが農業学校のなせるわざなのだろう。あまりここで激賞して誰かに買い占められても困るんだが(なんせ1500本しかないのだ)、このワインを飲んだ日は昼間に試飲会があり、日がな一日ワインを飲んで、もう飽き飽きしていたのだ。そんな僕がすいすいとボトルを空にしてしまったのだから、酒質までふくめて、駄酒ではありえない。イタリアの農業学校、その行く末や恐るべし。ああ、もっと詳しく知りたい。他のワインも造っているなら飲んでみたい。現地にももちろん出かけてみたい。

梅干しのかほり

 ちょっと前の話だが、6月某日のこと。都内のホテルで行われたブルゴーニュワイン・セミナーで赤白合わせて8種類のワインをジャッキー・リゴー氏の導きで試飲したのだが、そこに出てきたメルキュレという土地の若い赤には明らかに梅干しに通じる香りと味があった。ところが、講師先生は梅干しなど食べたこともない。
 仏人講師はこのワインの香りの主体はスミレだとおっしゃる。そう言われて、再び新たな気持ちでグラスに鼻をつっこんでみたが、やはりどう嗅いでも梅干しなのだ。ここでまたしてもつねづね考えている問題に突き当たった。テイスティングの良し悪しとはなにか? ワインの味わい表現とは何かという問題である。テイスティングに必要なのは、良い鼻と豊かな語彙を伴った表現力である。そしてさらに重要なのはバックグラウンドと経験値。嗅いだことのない香りを表現するのは至難の業だろう。となると、梅干しの香りをワインのなかに見つけられなかった仏人講師のことはもちろん責められない。ここで言いたいのは2つ。信じられるのは権威の表現ではなく自分の鼻だけということ。もうひとつは、世界中の食文化が入ってきている日本で暮らすわれわれは、テイスターとして経験値の点で有利である。「有利」という言い方がふさわしくなければ、少なくとも「豊か」である、ということだ。

やがて開いて大輪の花に?

 ボルドー、ポムロールのシャトー・ヴレ・クロワ・ド・ゲ2007。5年先に開けてもよさそうなこの銘醸地のワインを「幼女殺し」の罪に問われるのを覚悟でその夜開けたのにはわけがあった。このシャトーを取材で訪ねたのは去年の秋、収穫まであと1週間という時期だった
 魔法使いサリーのパパが出てきそうな城館で僕を迎えてくれたのは、アリンヌとポールのゴールドシュミッツ夫妻。マシンガンのごとき勢いでセールストークをする妻と、いかにも育ちのよさそうな柔和な表情で相づちを打つ夫という図式。聞けば、3つの銘柄をもつこのシャトーはつい最近アリンヌの代に相続されたばかり。ワイン造りの歴史は長いが、近年は某超有名高級銘柄とセットで「抱き合わせ販売」されるという不名誉な立場に甘んじており、今回の相続時に家族内から「もう手放してはどうか?」という意見も出ていたのだった。不名誉な状態のまま、やすやすと家業を手放すわけにはいかない——そう思ったのがアリンヌだった。他人任せだった経営を自分たちの手に取り戻し、畑と醸造設備の改良と館の改修に着手。ペトリュスで醸造アシスタントをしていたヤニック・ライレルをマネジャーに迎えボルドー屈指の人気醸造家ステファン・ドゥルノンクール氏をコンサルタントにつけた。僕がその夜飲もうとしていた2007は、ドゥルノンクール氏が手がけて2年目のヴィンテージということになる。抜栓して30分。大輪の紅い花を思わせる香りと土、そしてスパイス。
 まだ閉じ気味でやや無愛想だったが、ポテンシャルは充分に感じられた。去年の晩秋、ポール氏が日本での新たなインポーターを捜しに来日した。和食の店に連れていくと、箸と箸置きとビールグラスが載った塗りのトレイを見ただけで「トレ・ビアン」を連発。純粋ないい人なのだ。ポール氏の人柄に惚れ、彼のインポーター捜しになんとか力を貸せないかと、僕もいろいろと手を尽くしたが、景気も悪く、なかなか成果が上げられなかった。
 そのポール氏がサンテミリオン・グランクリュのPRのために1年ぶりに来日する。いまだ決まらぬ輸入元を探すミッションも帯びていて、ホテルの部屋を借りて単独の試飲会もするそうだ。ゴールドシュミッツ夫妻とシャトー・ヴレ・クロワ・ド・ゲの命運やいかに?

2010年5月24日月曜日

ベネンシア特訓






 スペイン、サンルーカル・バラメダのシェリー、パストラナを飲んだ。ジプシー女のラベルで知らせるラ・ヒターナのボデガス・イダルゴが単一畑のぶどうからつくる意欲作だ。フロール(産膜酵母)由来の古漬けのような風味がたまらない。
 飲みながら3年前の取材旅行を思い出す。
 ボデガス・イダルゴを取材で訪ねた日は週末で、夕方で、われわれがラストの客だった。案内してくれた片言の日本語をあやつる男は、ざっと施設内を案内し終わると、ソレラ(樽を3段、4段に積み上げて熟成させるシェリー独自の製法)の酒庫へとわれわれを再びいざないベネンシア(シェリーを樽からグラスに注ぐ長柄杓)の振り方を教えてやろうという。1メートルほどの長い柄の先に小さなグラス状のカップが付いたベネンシアを振って小さなコピータ(シェリー用の小グラス)に注ぐのは、想像以上に難しく、せっかくのシェリーの大半を床にこぼしてしまう。売り物の酒を無駄にしては申し訳ないから、下手も懸命に努力して巧くやろうとする。ベネンシアからジョーッと注がれたシェリーは適度に空気を含み、酒精が目覚めて美味くなる。こちらは下手が3名、案内人も実演する。注がれたシェリーは回しのみする。
 ベネンシアの特訓を重ねるうちにわれわれの飲む量もどんどん増えていく。酒庫の外で夏の夕日がどんどん傾いていく。教わる方も、教える方もへべれけに酔っぱらう。いつしか取材も特訓も忘れて、ただの酒盛りになる。ますます日は傾く……あんなに美味いシェリーはあれ以来、飲んだことがない。

※写真は、タバンコと呼ばれる樽出しシェリーのバル。酒庫で腕前を披露するベネンシアドール。サンルーカル・バラメダの海沿いのレストランで食べた料理。ボデガス・イダルゴのパティオ。ラ・ヒターナのラベルになったジプシー女の絵。

2010年4月20日火曜日

駿馬は思い出の草原を駈ける


 6月にブルゴーニュ取材に行けそうな状況になった。行くのはほぼ決まったのだが、記事を露出する媒体はこれから決めるという、いささか不安定な状態。媒体と話すためには斬新な切り口が必要。そのためにはまずはブルゴーニュについて知識を深めなくてはならぬ。ボルドーには4回も行かせてもらっているが、ブルゴーニュは未踏の地なのだ。本や雑誌を読みまくる一方で、「ワインの知識はワインそのものから」というわけで、夜な夜な飲むワインをしばらくブルゴーニュもしくは他の産地のピノに絞ることにした。
 この「ピノ強化週間」の一環で、昨夜はアメリカ・オレゴン州、ウィラメット・ヴァレーのファイアスティード ピノノワール2006を抜栓。以前、祝い事で友人から贈られたものだ。抜栓直後は、嗅げども語らず。べた凪の海のごとく、なにもない。もしや劣化したか(なにせ、仕事部屋の隅にただ置いていただけで温度管理もなにもしていなかった)と思ったが、口を付けてみると、味は死んでいない(が、けっして良くはない)。一縷の望みをかけて、デキャンタージュすることに。負けるなオレゴン・ピノ! とワインを励ましながら、グラス3杯分ほどを勢いよくデキャンタに移した。
 ワインの状態をときどき確かめながら、本を読んだり、ツイッターを覗いたりして時間を潰すこと90分ほど。ようやくオレゴン・ピノは目を覚ましてくれた。それだけの時間がこのワインの真価を味わうためには必要だったのだろう。ファイアスティードfiresteedの名は「火のような駿馬」という意味だ。
 僕は2つの理由でこのワインを駄ワインにおとしめるわけにはいかなかった。1つは、このワインをくれた友人の名誉のため。友人は、他の品種に比べてピノの経験値が低く、そこをなんとかしなくてはと思っている僕の状況をつぶさに見ていた。しかも、友人の妻は大のピノ・ラヴァー。祝い事にかこつけて、僕に良いピノを贈ることで力になってくれようとしたのだ。もうひとつの理由は、このワインが馬にちなんだ名を持つアメリカのワインだったことにある。
 もう20年も前のことになるが、僕はあるとき、縁あってアメリカ・モンタナ州でカウボーイの暮らしに触れた。牛追いを体験したのだ。6月の半ば、900頭もの肉牛を15人ほどのカウボーイが平地から夏の牧草地である高原(標高2000m)へと移動させる。そこに、日本では乗馬経験もなかった僕は参加した。牛追いは、3〜4泊の野営でもって遂行される。午前中の涼しい時間帯に牛を移動させ、昼間の、気温が上がって牛馬も疲弊する時間帯には休む。夜には焚き火を囲んで、カウボーイ&カウガールが歌い、踊る。満天の星の下、寝袋にくるまって、流れ星を数えながら眠りに落ちる。そんなカウボーイ体験で馬と心を通わせることの難しさと素晴らしさを僕は経験した。その最初の年以来、僕は14年間、ほぼ毎年同じ時期にモンタナに出かけては、牛追いに参加することになったのだ(投げ縄はできないけど、乗馬の腕はずいぶん上がった)。アメリカ人、ことに西部の人間にとって馬が象徴することの一端を僕は理解できるつもりだ。
 その馬の名を冠したワインを駄ワインにおとしめることはできなかったのだ……と、昨夜はワインを飲みながら長々と書いた。書くうちにもワインはさらに開いた。果実香が立ち、適度な熟成感も出た。「火のような」まではいかなかったが、いずれにしても、友がくれたワインのお陰で僕は、はからずも、佳き思い出に浸る機会を得たのだった。

2010年2月1日月曜日

「雪に合う」(←関西弁ぽく)

いつかきちんとシャルドネのことを書かなくてはと思っていたのだが、ついつい書きそびれて今日まで来た。2月に入ったばかりの今日、東京ではこの冬初めて本格的に雪が降った。夜のうちに積もって、夜更けから未明、さらに明日の朝には、雪に弱い東京人の足もとを、あざけるように、大いにすくうことだろう。
ワイン関係のムック(雑誌形式の書籍)を1冊つくる話があり、その打ち合わせでK社を訪ねていた。その帰路、資料となる本を探しに書店に立ち寄ろうかと思ったが、車のフロントグラスに落ちる雨粒にみぞれが交じりはじめたのを見て、いっさいを諦め、早めに家路につくことに。夕食を摂っている間に雪は本降りになった。窓から見えるパプアニューギニア大使館のライトアップされた新ビルの照明のなかを激しく降りつのる雪片が舞う。雪見にふさわしいワインはなにだろう? と、未開封ボトルの並んだ廊下隅を物色する。晩飯が和食だったこともあり、白を選ぶ。3日前に某パーティの土産にいただいたオーストリアのワイン。サッテルホーフ・プファールヴァインガルテン2006とエチケットにあるが品種もなにも記されていない。開けてグラスに注いで香りを嗅げば、柑橘の皮、ハーブ、奥からは蜜のニュアンス。口に含むと控えめな酸と昔懐かしいサイダー風の甘みで思わず心が和む。これは面白いワインだと思いネットで調べたら、シャルドネ100%、一時発酵から小樽で行い、シュール・リ製法。なるほどそういう味だわいと再び飲めば、時間を経て新樽風味がいつの間にか増している。冬の寒い夜にしっとり系の白ワイン、外はいよいよ雪また雪——なかなか悪くない。
本当は、シャブリ攻略の話などしたかったのだが、すっかり雪見酒に酔ってしまった。今宵はここまで。

◎ツイッター始めました。
@yasuyukiukitaでつぶやき中です。

2010年1月18日月曜日

私には夢がある



年末はここ10年ほど続けてバリ島で過ごしている。去年の年末も23日に日本を発ち、30日に戻ってくるまで向こうで過ごした……などと言うと優雅に聞こえるかもしれないが、実際は正反対である。なるべく無駄なカネを使いたくないからバリに逃避しているのだ。仕事柄海外に出向くことが多いので、毎年ビジネスクラスでバリを往復できるくらいはマイレージがたまる。燃油代その他はかかるがアシ代はタダ同然といっていい。現地ではたいてい旅程の半分をウブドゥ(山の中の芸術家村)で過ごし、残りの半分をスミニャック(海沿いの商業&観光地区)で過ごすのだが、前半のホテルは1泊35ドル(朝食付き、プール有り、ベッドはキングサイズ)。後半は友人の家に厄介になるので宿代はゼロ。食事はローカルの連中と同じものを食べていれば300円でお釣りがくる。街場の外国人向けレストランで豪勢に食べても5000円はいかない。東京で年末の日々を過ごし、やれ忘年会だ、やれクリスマスパーティだと、カネを垂れ流すことを思えば、よほど倹約でき、なおかつ有意義といえるだろう。それでクセになって10年も続いているのだ。滞在中とくに観光的なことはしない。日本ではなかなか読めないような分厚い本を読み、プールで泳ぎ、決まったレストランやカフェに出かけ、海側ではサーフィンもときどき。バカンスとはもともと「空っぽ」の意味。きっとこれでいいのだ。が、しかし……

ひとつだけ、バリ島ライフに不満があるとしたら、ワインである。

10年前に比べると、ワインが飲める店やワインを扱う店の数も、手に入るワインの銘柄も「爆発的に」増えたと言っていいだろう。10年前は地元産のハッテンワインか豪州のジェイコブス・クリークのみといった調子だった。それが今日では、レストランでボトルを頼めば、ちゃんとホストテイスティングもやらせてくれる(ワインリストが存在する時点で過去の状況とは比べようもない。僕が通いつめているウブドゥのラマックという店のワインリストには赤白泡で50銘柄くらいになるリストがある)。しかし、一言で言うなら、駄ワインを劣悪な状態で出すくせに割高なのである(海側に最近できたフランス系スーパーマーケット、カルフールで友人宅に持っていくチリワインを2本買ったら、日本の市場価格で3500円程度で済むものが7000円以上になった)。

いっぽうでは僕も、仕方ないよなあと思っているのだ。高温多湿のバリはもともとワインの保存には適さない。飲む習慣のない人びとがサービスするのだから、扱いも形式的なものになる。価格が割高なのは酒税の関係もあるだろう。需要と供給のバランスを考えても良いワインを安く売ることは難しそうだ。でもなあ、ともう一方の僕はやはり残念でならないのだ。バリの気候、バリのスパイシーでハーヴァルな料理、そしてなによりもバリにいる気分にぴったりのワインがきっとあるはず。すぐに思いつくのは、柑橘系の香りの利いたスパークリングやトロピカルフルーツの香りのするやや濃いめの白。ロゼにだってきっとチャンスがあるだろう。赤だって飲み方によってはいけるかもしれない——。

希望を捨てないで、僕は見守りたいと思う。1963年に行われたマーティン・ルーサー・キングの有名な「私には夢がある」の演説が40年余りの後、オバマ大統領誕生で現実になったように(という喩えはいささかオーバーかもしれないが)、きっとその日が来ると僕は信じている。バリで、おいしいワインが、いい状態で、そこそこの値段で飲める日が!

※上の写真は、ウブドゥのラマック(左)とバリ島の伝統料理バビグリン(右)。