ちょっと前の話だが、6月某日のこと。都内のホテルで行われたブルゴーニュワイン・セミナーで赤白合わせて8種類のワインをジャッキー・リゴー氏の導きで試飲したのだが、そこに出てきたメルキュレという土地の若い赤には明らかに梅干しに通じる香りと味があった。ところが、講師先生は梅干しなど食べたこともない。
仏人講師はこのワインの香りの主体はスミレだとおっしゃる。そう言われて、再び新たな気持ちでグラスに鼻をつっこんでみたが、やはりどう嗅いでも梅干しなのだ。ここでまたしてもつねづね考えている問題に突き当たった。テイスティングの良し悪しとはなにか? ワインの味わい表現とは何かという問題である。テイスティングに必要なのは、良い鼻と豊かな語彙を伴った表現力である。そしてさらに重要なのはバックグラウンドと経験値。嗅いだことのない香りを表現するのは至難の業だろう。となると、梅干しの香りをワインのなかに見つけられなかった仏人講師のことはもちろん責められない。ここで言いたいのは2つ。信じられるのは権威の表現ではなく自分の鼻だけということ。もうひとつは、世界中の食文化が入ってきている日本で暮らすわれわれは、テイスターとして経験値の点で有利である。「有利」という言い方がふさわしくなければ、少なくとも「豊か」である、ということだ。
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