2010年4月20日火曜日

駿馬は思い出の草原を駈ける


 6月にブルゴーニュ取材に行けそうな状況になった。行くのはほぼ決まったのだが、記事を露出する媒体はこれから決めるという、いささか不安定な状態。媒体と話すためには斬新な切り口が必要。そのためにはまずはブルゴーニュについて知識を深めなくてはならぬ。ボルドーには4回も行かせてもらっているが、ブルゴーニュは未踏の地なのだ。本や雑誌を読みまくる一方で、「ワインの知識はワインそのものから」というわけで、夜な夜な飲むワインをしばらくブルゴーニュもしくは他の産地のピノに絞ることにした。
 この「ピノ強化週間」の一環で、昨夜はアメリカ・オレゴン州、ウィラメット・ヴァレーのファイアスティード ピノノワール2006を抜栓。以前、祝い事で友人から贈られたものだ。抜栓直後は、嗅げども語らず。べた凪の海のごとく、なにもない。もしや劣化したか(なにせ、仕事部屋の隅にただ置いていただけで温度管理もなにもしていなかった)と思ったが、口を付けてみると、味は死んでいない(が、けっして良くはない)。一縷の望みをかけて、デキャンタージュすることに。負けるなオレゴン・ピノ! とワインを励ましながら、グラス3杯分ほどを勢いよくデキャンタに移した。
 ワインの状態をときどき確かめながら、本を読んだり、ツイッターを覗いたりして時間を潰すこと90分ほど。ようやくオレゴン・ピノは目を覚ましてくれた。それだけの時間がこのワインの真価を味わうためには必要だったのだろう。ファイアスティードfiresteedの名は「火のような駿馬」という意味だ。
 僕は2つの理由でこのワインを駄ワインにおとしめるわけにはいかなかった。1つは、このワインをくれた友人の名誉のため。友人は、他の品種に比べてピノの経験値が低く、そこをなんとかしなくてはと思っている僕の状況をつぶさに見ていた。しかも、友人の妻は大のピノ・ラヴァー。祝い事にかこつけて、僕に良いピノを贈ることで力になってくれようとしたのだ。もうひとつの理由は、このワインが馬にちなんだ名を持つアメリカのワインだったことにある。
 もう20年も前のことになるが、僕はあるとき、縁あってアメリカ・モンタナ州でカウボーイの暮らしに触れた。牛追いを体験したのだ。6月の半ば、900頭もの肉牛を15人ほどのカウボーイが平地から夏の牧草地である高原(標高2000m)へと移動させる。そこに、日本では乗馬経験もなかった僕は参加した。牛追いは、3〜4泊の野営でもって遂行される。午前中の涼しい時間帯に牛を移動させ、昼間の、気温が上がって牛馬も疲弊する時間帯には休む。夜には焚き火を囲んで、カウボーイ&カウガールが歌い、踊る。満天の星の下、寝袋にくるまって、流れ星を数えながら眠りに落ちる。そんなカウボーイ体験で馬と心を通わせることの難しさと素晴らしさを僕は経験した。その最初の年以来、僕は14年間、ほぼ毎年同じ時期にモンタナに出かけては、牛追いに参加することになったのだ(投げ縄はできないけど、乗馬の腕はずいぶん上がった)。アメリカ人、ことに西部の人間にとって馬が象徴することの一端を僕は理解できるつもりだ。
 その馬の名を冠したワインを駄ワインにおとしめることはできなかったのだ……と、昨夜はワインを飲みながら長々と書いた。書くうちにもワインはさらに開いた。果実香が立ち、適度な熟成感も出た。「火のような」まではいかなかったが、いずれにしても、友がくれたワインのお陰で僕は、はからずも、佳き思い出に浸る機会を得たのだった。