2009年5月21日木曜日

忘れかけていた、ワイン民主化へ障壁

先月の夜の時間の大半をかけ、わが家の廊下を空ボトルで埋めて、60本のワインをセレクトしたのは某女性誌のワイン特集のための仕事だった。4、5日前に掲載誌が店頭に並んだ。ここのところの陽気はすでに初夏から梅雨の走り。シュワシュワや白ワインのことは頭に浮かべども、赤ワインに対する思慕恋情は急低下。こんな時節にワイン特集は売れるだろうか、ハテ?

そのワイン特集の発売を楽しみにしてくれていた同郷の友Kからメールがきた。「ウキタの薦めるワイン、うちの近所のスーパーには1本もないよ」。これはなかなかに看過できぬモンダイである。Kは東京・大田区在住。ワインに関する知識はカベルネとカペルネと思い込んでいるようなレベルである。つまり、僕が常々標榜している「ワインの民主化」を実践するターゲットとしてこの上ない人物なのだ。何度もワイン関係の記事に関わるうちにすっかり常態化し鈍化していたが、じつは僕も最初は雑誌のワイン・カタログを見るたびに、データに書かれているのがインポーター名だけで、実際にそのワインが売られている店の紹介がされていないことに違和感というか不親切感を覚えていたのだ。考えてみると、その理由を誰かにちゃんと説明してもらったことがない。が、いまなら、ある程度は推測できる。理由のひとつはインポーターはほとんど不変だが、酒販店は変動するということ。酒販店は当然売れるモノを仕入れて、売り切ることを目指す。高級品なら定番として常置するものもあろうが、デイリーなものや中くらいの価格のものについては新たに話題になった商品にどんどん入れ替えていくだろう。ヴィンテージという「年に1度のチャラ」があるワインという商品の特性もこの売り方に関与しているのだろう。また、日に日に新たなスター・ワインが出てくるというワイン業界の現況が「変動」に拍車を掛けているということもあるだろう。雑誌(月刊誌)というのは通常、取材と発売の間に1カ月ほどのタイムラグがある。その間にも酒販店のラインナップは移ろうとなると、酒販店名を載せることの意味があやしくなる。一般の消費者が直接関わることのないインポーターが載っかるのには、雑誌側の「広告的理由」もあるのだろう。あまたあるインポーターのなかで、雑誌に広告を打てるほどの規模・財力を持つ会社はほんのひとにぎりなのだが、そのなかに、雑誌側が決して軽んじることのできないクライアントがあって、そのわずか3、4社の名前を出すためにデータはインポーターの名で統一される。むろん、レストラン、バーなどの業者にとっては仕入れ先の情報が載っていることは役に立つわけだが。

話を元に戻そう。Kはどこで僕の薦めるワインを手に入れればいいのか? 僕はとりあえず都内のワインショップ4軒の所在を教えた。近所のスーパーでワインを物色していた彼がワインショップに入るのは、それだけで敷居を感じる行為なのかもしれないが、これも「民主化」への一歩である。

2009年5月15日金曜日

日常を非日常に変えてくれるもの

友人Yの誘いで日比谷で芝居『この森で、天使はバスを降りた』を観てから、かねて行こう行こうと思って行けていなかった銀座7丁目のワインバー、ラ・ニュイ・ブランシュへ。店主のH氏と初めて会ったのは彼が西麻布の店にいた5、6年前のことだ。当時西麻布のその店には5度ばかり通ったが、その途中でH氏は新天地を求めて店を離れたのだったと記憶している。住所をたよりに探した店は銀座らしい雑居ビルの地下にあった。恐る恐るドアを開けて店に入ると、たまたまカウンターのなかは無人。しばらくして、見知らぬ顔のスタッフが一人。やや遅れて見覚えのある顔が裏から出てきた。少しばかり年を重ねたようだが思ったほどは変わっていない。「Hさん」と声を掛けると、「あ、ウキタさん」と即答が返ってきた。5、6年の歳月が一瞬に縮まったような気になる。メニューを見るまでもなく、棚に並んだグラスの構成から、この店がどこのワインに重きを置いているかが知れた。シャンパーニュ、ブルゴーニュの白、赤は北ローヌ、南ローヌと僕は4杯。隣のYは赤でイタリアへ。この不景気に店は賑わっていた。背後のテーブル席から「ワインてさ、結局値段でしょ」と聞き捨てならぬ発言が聞こえてきてムッとしたりするが、ここは銀座、そういう人もいるのだと自分を納得させる。そんなことよりも、ワインを通じて知り合った人が時間を超えて達者でやっていることが嬉しい。『この森で、天使はバスを降りた』のテーマはパンフレット的には「いつだって人生はやり直せる」だが、僕の見立てで言うと、「ちょっとしたきっかけさえあれば、平凡な日常もパラダイス(=非日常)になる」だ。僕とH氏は互いに別々の日常的5、6年を過ごして、再び出合った。日常を非日常に変えてくれたもの、それがワイン。