2009年11月19日木曜日

カキと甘口白ワイン〈その2〉




ボルドーで生ガキと貴腐系甘口白ワインの絶妙マリアージュを経験してからふた月近く経った11月のある日、ボルドーへも同行したカメラマンK君の自宅で「カキとソーテルヌの会」を開催することになった。おりしもわが故郷・山陰からは松葉ガニ漁が解禁になったとの報が。ならばいっそのことと趣旨を拡大し、「カキとソーテルヌ、蟹と○○ワインの会」にしようということになった。カキはK君が北海道・厚岸から取り寄せることになった。蟹はセコガニ(松葉ガニのメス)。僕の母が「その筋」に頼んで兵庫県から直送してくれる。当日の参加者は6人。

あとはワインだ。ソーテルヌはK君がボルドーから持ち帰ったレ・ランパール・デ・バストー2005がある。会の2日前、僕はワインショップに出かけ、ロゼのカバ(マス・デ・モニストロル2005)、ヴィエーユ・ヴィーニュのシャブリ(ドメーヌ・ド・ヴォルー2002)、アルザスの白(マルク・テンペ アリアンス)の3本を購入。当日はうちから赤ワインを2本(イゲルエラ・ロブレ2008とイル・ポッジオーネ ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ1995)持ち出した。これで6人に対してロゼ泡1+辛口白2+甘口白1+赤2=6本。われながら頼もしきラインナップ。

当日、K君宅に着くと、すでに男子2名が片手に軍手、もう片方の手に金ベラという武装で殻付きカキと格闘していた。発泡スチロールのトロ箱を開けてセコガニを披露するとドッと歓声がわく。厚岸産のカキはクリーミーなタイプ。ボルドーのミネラリーなものとは趣が異なるが、旨さでは厚岸に軍配が上がるだろう。ロゼ泡で乾杯するが早いか、もうみんなカキに食らいついている。慌ててシャブリを抜栓。最近厳めしい感じのシャブリばかり飲んでいたので、今日の古木ものはずいぶん寛容に感じる。シャブリの本領かといえば微妙なワインだが、カキがクリーミーだったので、悪い組み合わせではなかった。続いてシャブリの続きにセコガニ(塩ゆでされている)をぶつける。外子、内子、アシ、抱き身と順に食べるのに一同忙しく、ワインを賞味するいとまがない。機を見てマルク・テンペを開けてみんなのグラスに注ぐ。華やかなアロマが立って、みんなの蟹を解体する手が止まる。マリアージュ的にもアルザスと蟹は正解であった。蟹がきれいに片づけられると再び残りのカキがこじ開けられる。いよいよ、本日のメインイベント、生ガキ&ソーテルヌである。旅で出会った恋は実らないというのが定説。ボルドーの思い出ははたして東京でも魔力を持ち続けることができるのか? その答えは「Oui(Yes)」だった。

毎年秋から冬にかけていったいいくつのカキを食べるだろう? 生ガキ、フライ、鍋を合わせると200個くらいは行くだろう。甘口白ワインとのマリアージュを覚えて、この冬のオイスター・ライフはますます充実しそうである。

2009年11月13日金曜日

カキと甘口白ワイン〈その1〉



9月に2週間ボルドー取材に出かけていたのだが、そのレポートをこのブログに書かねば書かねばと思っているうちに早くも2カ月が過ぎ去ってしまった。いまさらまとまったレポートを書くのもナンなので、今後ことあるごとに取材の成果を引いて書くことでお許し願おう。
きょうはカキの話をする。柿ではなくて牡蠣のほうだ。

ボルドーの、ワイン以外の特産品にカキがあることはあまり知られていない。ボルドーはガロンヌ川、ドルドーニュ川、そしてその2本が一緒になったジロンド川という3本の河川の流域に広がっているのだが、最後のジロンド川はぶどう畑がなくなるとすぐに大西洋に注ぐ。河口までいかなくてもボルドー市から西へ1時間ほど車を走らせると、大西洋の海水を閉じ込めた入り江、バッサン・ダルカッションに出る。この入り江でカキが養殖されているのだ。アルカッション、カップ・フェレといった海辺の町はリゾートとして賑わい、ビーチ沿いにはテラスでシーフードを食わせる店が軒を並べている。生ガキのお相手として勧められるのはアントル・ドゥー・メール(ガロンヌ川とドルドーニュ川に挟まれた地域)の白ワインということになる。さっぱりとしてミネラル感もあってそれはそれで悪くないのだが、「カキにはシャブリ」の定番マリアージュを凌駕するかと言われるといささか心許ない。しかし待て。白旗を揚げるのはまだ早い。ボルドーにはもうひとつ生ガキに合うワインがある。ソーテルヌに代表される貴腐系甘口白ワインだ。

生ガキにソーテルヌ? 最初そのマリアージュの話を聞いたときは僕もなにかの冗談だろうと思った。カキの旨さは海の味、潮の味がするところだ。生ガキにレモンを搾り掛けて食べることを考えると辛口の白ワインが合うのはわかる。しかし、飲むデザートのごとき甘口白ワインがカキに合うはずがない。生ガキにハチミツを掛けて食う様を想像してみればいい。やはりフランス人の味覚は日本人から見るとへんてこりんなのだ……と。そんな僕の愚かな既成概念を打ち砕く「事件」が今回のボルドー取材の最中に起こった。サン・クロワ・デュ・モンという産地に甘口白ワインの取材で出かけたときにことだ。サン・クロワ・デュ・モンはボルドーの南、ドルドーニュ川の畔の丘の上、海抜100メートルくらいのところに広がっている。川の対岸はシャトー・ディケムを擁するソーテルヌの地。われわれが訪ねたシャトー・ラ・グラーヴの5代目ヴァージニーさんによると、彼女のところは2つの畑を持っており、ひとつは石ころだらけの粘土石灰質土壌、もうひとつは蛎殻土壌であるという。前者の畑で穫れたぶどうでできるのがシャトー・ラ・グラーヴ、後者からできるのがシャトー・グラン・ペイロー。試飲のときにヴァージニーさんが土壌のサンプルを見せてくれたが、グラン・ペイローのほうにははっきりとカキの形状が残る化石がたくさん含まれていた。それを見たとき僕の記憶装置にぽっと灯りが点った。「もしや、このワインと生ガキが合うのでは?」と訊くと、ヴァージニーはもちろんというように大きく頷いたのだった。
数日後、われわれ取材チームはカップ・フェレのシーフードレストランにいた。生ガキを増量したシーフードの盛り合わせを注文し、バッグのなかから飲みかけのシャトー・グラン・ペイロー2004を取り出す。カキの養殖場に潮が満ちていくのを目の前に眺めながら、出てきたカキを食べ、甘口白を飲む。なんの齟齬も、不仲も、不釣り合いも、理不尽も、そこにはない。簡潔に言うなら、旨いのだ。焼き蛤に日本酒を注いで飲むように、生ガキに甘口白を注いで飲んでみたら、これまた素晴らしい。かくて、ボルドーの貴腐系甘口白ワインと生ガキの相性は実証されたのだった。

2009年11月6日金曜日

イタリアン・ゾンビ



この頃はもっぱら夜更けにイタリアの赤である。柿が旨いので、生ハム&メロンならぬ生ハム&柿がつまみの主役となっている。いま飲んでいるのはシチリアのカンティーネ・アウローラ社、エラ シラー2008。ICEAの認証を受けたオーガニックワイン。抜栓してすぐには太田胃散のような刺激臭があり、水辺に打たれて放置された木杭のような湿った匂いがあった。酒質はタンニンのせいか少し舌にザラつく感じで……と、このように印象を書き連ねるといかにも不愉快なワインのようだが、なぜか全体の印象は好感が持てた。このあたりが自然派ワインの妙なところかもしれない。色も味わいも濃いところはラングドックのヴァン・ド・ペイを思わせるが、それらによくあるキャンディなワインではない。30分くらいすると、刺激臭が和らぎ、代わりになじみのある匂いが支配的となったが、すぐには特定できない。何度もわが袖の匂いを嗅いで嗅覚をリセット(この方法を教えてくれたのはワインアドバイザーで酒屋店主のNさんだった)し、嗅ぎ直す。樟脳? いや、これはカレー粉だ。鍋に入れる前の乾いた状態のカレー粉の匂い。その主成分はターメリックか、カルダモンか?……と、ここまでは一昨日の話。2日目の昨夜はアニュージュアルな匂いは消えて、果実とチョコレートとバニラだけが残った。そして今夜、果実だけがまだ踏みとどまっている。

じつはこのワインの話にはもうひとつ別のストーリーがある。抜栓初日(つまり一昨日)、キッチンテーブルの上には開けて3日目の別のイタリアワインがあった。トレンティーノ=アルト・アディジェのツィオ・ベピ2006。ラグレイン、ピノ・ネロ、テロルデゴという3つの品種の混醸。ピノ・ネロ以外は聞いたこともない。それに惹かれて買ったのだった。抜栓初日のツィオ・ベピは生き生きとしておしゃまな、ガーリッシュなワインだったが、そこにはイタリアワインの持つ(と、僕が信じて疑わない)奥深さや神秘は感じられなかった。これが現代性というものかと思いつつ栓を閉め、2日目に期待。が、2日目になっても伸びることはなく、3日目にはただの駄ワインに成り下がっていた——。イタリアワインへの信頼感に影響が出そうだったこのとき、藁をもすがる思いで開けたのがエラ シラーだったわけだ。ツィオ・ベピはいっそ捨てようかと思ったが、僕のイタリアワインの師であるバー・アズのHさんが語るごとく、イタリアワインにはいったん落ちてまた上がってくるものがあると思い直し、捨てずにおいた。飲み残しのツィオ・ベピと開けたてのエラ シラーとでは「グー」と「パー」ほどの違いがあった。ジャンケンではパーの勝ちだが、ワインのパーはいただけない。パーと表現したツィオ・ベピは各要素がばらけて正体を失っていたのだ。それでも僕は飲んだ。ダメになったワインと、まだバランスを保っているいるワインを飲み比べる。これも勉強である。ダメなワインとは何か? なぜダメなワインは飲み手に快楽を与えてくれないのか? 考えながら飲んだ。それが一昨日のことだ。いま、すべての贅肉を落として果実だけになったエラ シラーの横に抜栓5日目を迎えたツィオ・ベピのグラスがある。いったんは失っていたはずの正体が戻って、ひねてはいるがなかなか佳い飲み物に化けている。喩えは悪いが、これはゾンビだ。イタリアワインにだけ起こるこの現象に科学的な根拠はあるのだろうか?