きのうの皆既日食は、できたら奄美で見たいと思っていた。奄美には旧知のキャンプ場があり、友もいて、現地にさえたどり着ければ困ることはないと思ったのだ。しかし、2カ月くらい前から頑張ったが飛行機も船も取れない。次第に前後の時期に海外出張が入るなど状況的にも難しくなり、やむなく東京(うち)で見物することになった。東京は終始曇りだったが、じつは時折薄雲の彼方に太陽の姿が見て取れたのだ。マンションの屋上(5階の高さ)から周囲を見ると、いやにしんとして、家々のテレビアンテナのひとつひとつに不穏な気配を漂わせて静かにカラスたちが羽根を畳んでいた。七部方欠けた太陽は半月のそれに似て、でも非なるもので、太めのクロワッサンのようだった。もう一度、周囲を見回したが、僕と連れ合いの他に見る人もなし。この瞬間、太陽が欠けていくという一大事を見ずして、なにが人生と言えるのだろう? 日食を見るよりも大事な仕事っていったいなんだ?
そんな狂騒的日食の日から1日。夜、僕は出発まであと1週間を切ったキューバ取材のために資料本を読みながらワインを飲んでいる。少し残っていたイタリアの微発泡を飲みきってしまい、さてどうしたものかとキッチンを見回して目に留まったのが4日ほど前から冷やしつつ飲んでいたモレッリーノ・ディ・スカンサーノ ロッジアーノ2007。南トスカーナのモレッリーノ・ディ・スカンサーノは最近になってDOCGに昇格したとのこと。イタリアの原産地呼称もどんどん変わっており、ついていくのがたいへんだ。さて、このワイン、さっきも述べたように抜栓したのは4日ほど前。最初は冷蔵庫に入れていたが、昨日今日は室温にてほったらかし状態。コルクを引き抜き匂いを嗅ぐと、案の定、エコノミークラスで飲まされるワインのような香りがする。無理もないし代案もないと諦めてグラスに注ぎ、チェ・ゲバラの本を読みながら飲み出すと、これが意外とイケるのだ。ぬるさに耐える熟れた果実、ひとつも崩れていないボディ&バランス。このワインみたいな中年女がいたら、少々小じわが目立っても、メロメロだろう。ここはイタリアワインの底力に感嘆すべきか、はたまたロマンティックにこれは日食の為したマジックだと断じるべきか、はて? ワイン革命の勝利を! さもなくば死を!!
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